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メキシコ湾の原油流出と、神の指

キリスト教科学さきがけ』2010年06月 1日号より

The Christian Science Monitor より転載


この数週間を振り返ってみて、恐らく頭に浮かぶニュースの見出しは、BP、環境災害、ディープ・ウォーター・ホライゾン (海底掘削リグの名)、悲痛な思い、無力感などに関わるものではないでしょうか。

ハンス・ブリンカー (Hans Brinker) という名前については、どうでしょう。原油流出事故について考えるとき、この名前に思い当たる人はあまりいないかもしれません。しかし、名前は知らなくとも、この名前にまつわる伝説については、よくご存知かと思います。8歳のオランダの少年が、遠方に住む盲目の友人にケーキを届けたいとお母さんに頼みます。ケーキを持って出かけ、友人と1時間ほど過ごして、家路につくハンス。もう外は夕闇に包まれていますが、結構な距離をまた歩いて帰らなければなりません。

ハンスのお父さんは、用水路の木の水門を開閉する人で、一日の終わりには、町が洪水に見舞われないように、水門を閉める仕事をしていました。オランダではこの仕事がどれほど重要なものであるか、ハンスは、いつも身にしみて感じていました。そこで歩いていても、堤防から水がちょろちょろ漏れる音には非常に敏感で、ぴたっと足を止めるというのも自然なことでしょう。一瞬、少年の心臓が高鳴り、次の瞬間、彼は堤防のようすを見にまっしぐらに走って行きます。小さな穴でしたが、もし、この漏れを止めなければ、夜の間に、取り返しのつかないことになることを、彼は知っていました。

彼は、指を小さな穴に差し込みます。夜が深まるなか、助けを求めることにも力尽きて、寒さで歯はかたかた、体はぶるぶる震えながらも、夜を徹して、ひたすら指で穴を塞ぎ通します。翌朝、彼は発見され、英雄となります。多くの人々にとって、彼の無私の努力は、真の勇気を示す犠牲と忠誠の象徴となっています。史実に基づくものではありませんが、この堤防を塞いだ指の物語は、多くの人々に感動を与え続けてきました。それは、小さな指だけではなくて、とてつもなく大きな勇気が、町全体を助けることができることを物語っています。

メキシコ湾の原油流出について祈っていたとき、私はこの場面について考えました。詩篇の作者は、の指が、天の星をきれいに配列させることを詠っています。キリストイエスは、の指によって悪霊を追い出すと告げています。私は、人のようなを信じる者ではありません。しかし、このような象徴は、神性の原理であり完全なであるが働く力を、見事に具体的に実感させてくれることを信じています。

もし、聖書の著者や人物が、の霊的働きは、星の配置を指図し、病のような悪を人から追い出す能力を持つことを、伝えることができるのであれば、なぜ、そのようなの現存は、その指をもって、象徴的場面を使い、比較的小さい原油漏れを処置することができないでしょうか。

私たちは、環境のため、また私たち自身の健康と幸福のために、こんなことをしてくださいと、に頼むのでしょうか? いいえ、もし聖書が正しく、が神性のであるならば、は、既にすべての必要を知り、すべての必要を満たし、そしてすべての必要が満たされていることを、喜んでおられるはずでしょう。私たちの役割は、主として、神性のが私たちのために常に行なっていることを、証人として見据えることです。もしかすると、信じられないような、また、説明できないような方法で、原油の噴出が止まるのを、目撃できるかもし れません。もしくは、知性(人間の当て推量ではなく、神性ののからくる知性)が示され、正しい「指」が働いて、制御しようのない原油流出を、止めることになるかもしれません。ある人々は、これは天使の知らせであると言うでしょう。このMonitor (モニター紙) の創始者であるメリー・ベーカー・エディは、『科学と健康—付聖書の鍵』の中で、次のように書いています:「わたしの天使たちは、高められたもろもろの考えであって… その純白の指で、新しい栄光ある信頼を… 指し示す」(p.299)。必要なことは、人間的に指さして責任を追及することではなく、天使の考えが、私たちを霊に満ちた方向に指し向けてくれることです。

大切なことは、あのオランダの少年が経験したとされるような力と献身の決意が、今、ここにあることを認識することです。そして、それは人間の必要を満たす方法を、必ず探し出してくれるでしょう。

『さきがけ』の使命

1903年に、メリー・ベーカー・エディは、『キリスト教科学さきがけ』を創刊しました。その目的は、「真理の普遍的活動と有用性を宣言する」ことでした。ある辞書によると、『さきがけ』定義は「先発の使者」(先触れ、先駆け)ー 後に起こる事が近づいていることを告げるために先立って送られる者、使者」であり、『さきがけ』という名称に重要な意味を与えています。さらにまた、この定義は、私たちの義務を指し示しています。それは私たち一人一人に課せられた義務であって、私たちには、私たちの『さきがけ』がその責務を十分に果たしているか見届ける義務があるのです。この責務はキリストと不可分であって、まず初めに、イエスが、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」(マルコ 16:15)と述べて、表明したものでした。

Mary Sands Lee (メリー・サンズ・リー)、Christian Science Sentinel, 1956年 7月 7日

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