この数週間を振り返ってみて、恐らく頭に浮かぶニュースの見出しは、BP、環境災害、ディープ・ウォーター・ホライゾン (海底掘削リグの名)、悲痛な思い、無力感などに関わるものではないでしょうか。
ハンス・ブリンカー (Hans Brinker) という名前については、どうでしょう。原油流出事故について考えるとき、この名前に思い当たる人はあまりいないかもしれません。しかし、名前は知らなくとも、この名前にまつわる伝説については、よくご存知かと思います。8歳のオランダの少年が、遠方に住む盲目の友人にケーキを届けたいとお母さんに頼みます。ケーキを持って出かけ、友人と1時間ほど過ごして、家路につくハンス。もう外は夕闇に包まれていますが、結構な距離をまた歩いて帰らなければなりません。
ハンスのお父さんは、用水路の木の水門を開閉する人で、一日の終わりには、町が洪水に見舞われないように、水門を閉める仕事をしていました。オランダではこの仕事がどれほど重要なものであるか、ハンスは、いつも身にしみて感じていました。そこで歩いていても、堤防から水がちょろちょろ漏れる音には非常に敏感で、ぴたっと足を止めるというのも自然なことでしょう。一瞬、少年の心臓が高鳴り、次の瞬間、彼は堤防のようすを見にまっしぐらに走って行きます。小さな穴でしたが、もし、この漏れを止めなければ、夜の間に、取り返しのつかないことになることを、彼は知っていました。
彼は、指を小さな穴に差し込みます。夜が深まるなか、助けを求めることにも力尽きて、寒さで歯はかたかた、体はぶるぶる震えながらも、夜を徹して、ひたすら指で穴を塞ぎ通します。翌朝、彼は発見され、英雄となります。多くの人々にとって、彼の無私の努力は、真の勇気を示す犠牲と忠誠の象徴となっています。史実に基づくものではありませんが、この堤防を塞いだ指の物語は、多くの人々に感動を与え続けてきました。それは、小さな指だけではなくて、とてつもなく大きな勇気が、町全体を助けることができることを物語っています。
メキシコ湾の原油流出について祈っていたとき、私はこの場面について考えました。詩篇の作者は、神の指が、天の星をきれいに配列させることを詠っています。キリスト・イエスは、神の指によって悪霊を追い出すと告げています。私は、人のような神を信じる者ではありません。しかし、このような象徴は、神性の原理であり完全な愛である神が働く力を、見事に具体的に実感させてくれることを信じています。
もし、聖書の著者や人物が、神の霊的働きは、星の配置を指図し、病のような悪を人から追い出す能力を持つことを、伝えることができるのであれば、なぜ、そのような神の現存は、その指をもって、象徴的場面を使い、比較的小さい原油漏れを処置することができないでしょうか。
私たちは、環境のため、また私たち自身の健康と幸福のために、こんなことをしてくださいと、神に頼むのでしょうか? いいえ、もし聖書が正しく、神が神性の愛であるならば、神は、既にすべての必要を知り、すべての必要を満たし、そしてすべての必要が満たされていることを、喜んでおられるはずでしょう。私たちの役割は、主として、神性の愛が私たちのために常に行なっていることを、証人として見据えることです。もしかすると、信じられないような、また、説明できないような方法で、原油の噴出が止まるのを、目撃できるかもし れません。もしくは、知性(人間の当て推量ではなく、神性の心のからくる知性)が示され、正しい「指」が働いて、制御しようのない原油流出を、止めることになるかもしれません。ある人々は、これは天使の知らせであると言うでしょう。このMonitor (モニター紙) の創始者であるメリー・ベーカー・エディは、『科学と健康—付聖書の鍵』の中で、次のように書いています:「わたしの天使たちは、高められたもろもろの考えであって… その純白の指で、新しい栄光ある信頼を… 指し示す」(p.299)。必要なことは、人間的に指さして責任を追及することではなく、天使の考えが、私たちを霊に満ちた方向に指し向けてくれることです。
大切なことは、あのオランダの少年が経験したとされるような力と献身の決意が、今、ここにあることを認識することです。そして、それは人間の必要を満たす方法を、必ず探し出してくれるでしょう。