およそ40年前、結婚生活が破綻してから、私はお酒を飲むようになった。そして、それが20年以上も続いていた。このアルコールの習癖に対し、私は強い罪悪感を持っていたが、ある晩、食事もせずに飲んでいたとき、その罪悪感はピークに達した。
それまで、キリスト教科学の実践士に、自分の飲酒問題について相談したことはなかった、というのも、あまりにも恥ずべきことに思われたからである。しかし、今回、いよいよ治療をお願いすべきであると感じ、自分が出席しているキリスト教科学の支教会の会員である女性に電話をした。彼女には、それまで、何度も助けられていた。私は実践士たちの愛情あふれる無私の献身的な仕事に、心から感謝している。彼らは人々が癒しを見出すのを助けるために、身を捧げているのである。その晩、実践士は留守だったので、祈って欲しいというメッセージを残した。
翌朝、目覚めたとき、昨夜、あんなに急いで実践士に電話をすることはなかった、自分の力で飲酒を止められるはずなのだから、と思った(それまで何度も、自分の意志の力で、お酒を止めようとしながら、だめだったのだが… )。実は、私は「もしかすると、自分はお酒を止めたくないのかもしれない」、とも思ったりしていた。しかし、もう一度、実践士に電話をかけて、状況を説明すべきだと感じた。彼女は、私と一緒に、また私のために、祈リましょう、と言ってくれた。私は、そのまま仕事に出かけ、そのときは特に何の結果も期待していなかった。正直なところ、そのとき、自分は本当にお酒を止めたいなどとは思っていないのだと、自分を説得してしまっていた。
その日、家に帰って、驚いた。いつものようにお酒が飲みたいと感じなかったのである。次の晩は土曜日で、パーティーに出かけた。お酒を勧められたが、誘惑に負けなかった。実際、いとも簡単に、「結構です」と言うことができたのである。日曜日にも、私はやはり飲みたいとは思わなかった。3日連続で、全くお酒を飲みたいと思わなかった。しかし、自分の飲酒癖が癒されたのだとは、まだ思ってもいなかった。
月曜日になって、実践士に電話をして自分に起きたことを話した。彼女は、私の電話を受けとったあの夜、私が神の本性の現れであることを、はっきりと認識したことを話してくれた。彼女は私のために、キリスト教科学の治療を一回だけ行なったと言った。私はそのとき、その治療が即座の癒しをもたらしたことを知った。そしてそれが、私のアルコール癖の終りとなり、それから何年もたっているが、お酒を飲みたいと思ったことはない。
私は、この癒しに、とても感動した、これですっきりした気持ちで、近くのキリスト教科学の支教会の会員になれると感じた。その後、引越したため、近くの教会で礼拝に出席できなくなったが、キリスト教科学の定期刊行物である、月刊のJournalと、週刊のSentinelの両方を購読している。これらの雑誌は、まさに神の賜り物であり、いつも雑誌が届くのを待ちきれない思いで待っている。ひとことも逃さずに読んでいる。
カナダ、オンタリオ州、クリスタルビーチ
この癒しにかかわったキリスト教科学の実践士は、自分がどのように祈ったのか、今でもはっきりと覚えていると言い、更に次のように話してくれた。
メグが、助けて欲しいと言ってきたあの電話は、恐らく、その晩、彼女が仕事から帰ってきてすぐ掛けたのだと思う。この時の経験を、私は、今でも、大変はっきり覚えているが、癒すことに対する個人的な責任を全く感じることなく、自分の考えが透明になって、真理、神を、感じることができた祈りの治療だった。メグがアルコールの束縛から自由になりたいという思いを吐露してきたとき、私は、純粋で、無垢の彼女のみを、見ていた、また感じていた。それは、彼女が神に愛された現れであり、途切れること無く完全であるという事実であった。それが私の意識を満たしていた。
メグが飲酒の願いから解放されたと電話してきたとき、それからどれぐらい時が経っていたのか,今は覚えていない。しかし、私は、彼女がキリスト、神の、癒しのメッセージにのみ反応し得ることを、確信していた。それから2〜3日のあいだ、メグのことが考えに浮かぶと、私の心は喜びの泉で満ちあふれた。メグが電話をかけてきて、お酒を飲みたいという願いから解放されたと告げたとき、私は少しも驚かなかったことを覚えている。あれは、私にとって、神がなさることをただ目撃しているという、特別の経験の一つだった、そして、そういうときは、治療は容易いのである。
カナダ、オンタリオ州、バーリントン