何年も前、私が子犬のロッキーを選んだとき、彼は、兄弟の子犬たちとじゃれあう、ころころした元気いっぱいの子犬でした。エネルギーあふれるその様子を見て、庭で飛び跳ね、近所を走り回る子犬を想像していました。ロッキーと猫のジャックを世話することが、自分に霊的真理を知る試練の場になろうとは、考えてもいませんでした。
ロッキーは、まだほんの子犬のとき、病気になって、食べることも、飲むこともできなくなりました。生涯、キリスト教科学を実践してきた私は、自分の癒しのために祈ることは学んでいましたが、ペットのためにどのように祈るか、自信がありませんでした。そこで、獣医に連れて行ったところ、ロッキーは、パルボ・ウィルスという感染症で、死ぬ可能性の高い犬の病気であると診断されました。この病気を治療する薬がないので、獣医は、ロッキーが助かる可能性は低いと言いました。病気が治るとしても、回復するまで、何日も、あるいは、何週間もかかるだろうということでした。それに加えて、ロッキーは、他の犬に感染しないように、病院で隔離されることになってしまいました。
頭をあげることも、しっぽを振ることもできないロッキーを、置いて帰らねばならず、私は途方にくれていました。そこで、キリスト教科学の実践士に電話しました。すると、実践士は、私の子犬は、神が創造したものであり、善以外の何ものも含み得ないことを、確信をもって話してくれました。そして、実践士は、「霊的理念は、誤りの要素を一つも含まない、そしてこの真理が不快なものは何であろうと当然取り除く」(『科学と健康』、 p. 463)ということに、気づかせてくれました。私はこの明快な真理の言明が、私の子犬にも該当することを聞いて、ほっとしました。
その夜、私は、ロッキーが安全で、神に愛され、十分に加護されていることを確信して、安心して眠りにつきました。次の朝、私は、獣医の助手に電話で起こされました。彼は、ロッキーがすっかり元気になって、大きな声で吠えている様子を、話してくれました。そして、「ロッキーを連れにきてください」、と言いました。私が急いで動物病院に行くと、元のいたずら好きの子犬に戻ったロッキーが、待っていました。一時間もしないうちに、ロッキーは家に戻って、靴をかじったり、庭で走ったりしていました。
霊的真理は、人だけではなく、神の創造したものすべてに適用されることを、このとき初めて実感しました。そして、私は更にそれを目撃する機会を与えられたのです。
昨年の冬、神の癒しの力の証明を、また一つ経験しました。ある朝、ロッキーが、トラックから跳び出して、固く凍った氷面に落ちたのです。ロッキーは、起き上がることができず、自分で立っていることもできませんでした。ロッキーの治療について、すぐに決断しなければならないと思いました。
子犬のときから、神がロッキーの医師だったので、祈りを通して癒しを求めることを選びました。2日間、私は、ロッキーがトイレなどにゆくときは、体を運んでやりました。夜は、ロッキーに付き添って、私にとって、彼の存在がどれほど大切なものであるか、彼に話しつづけました。彼を完全にするのは、私の仕事ではない、神はもうすでに彼を完全にしているということを、自分に言い聞かせていました。神の特質を、彼が独特の方法で表すなかで、彼の完全さを見据えなければなりませんでした。私は、ロッキーが表現したたくさんの霊的特質に、感謝しました。ロッキーの優しさ、忠実さ(私の料理を無条件に喜んでくれたことは、言うまでもなく)を、とても大切に思っていると話しました。幸いなことに、犬として老齢であることを、ロッキー自身は知りませんでした。2〜3日すると、ロッキーは自分で立てるようになりました。そして、1週間後には、足を引きずることなく、歩くことができるようになりました。
何ヶ月か経った今、ロッキーと私は、15年間楽しんできた散歩のコースに、戻っています。
もう一つの体験は、猫のジャックの足に大きな腫れ物ができたときのことです。私は、同じような霊的真理をこの時も適用して祈りましたが、ジャックの足がすぐに癒えないので、気を落としていました。ジャックは、よくあちこちを訪ねて回り、近所の家々で人気ものだったので、まわりの人々が心配していることも分かっていました。この問題を解決する必要があることは明確でした。
私はジャックと座って、祈りながら、神の霊的創造として、ジャックは完全であることを確認していました。ジャックは、私をちょっと見つめて、またそっぽを向いてしまいました。彼のこの無関心な様子が、謙虚な考えを生み出す刺激となりました。ジャックは、私が干渉するまでもなく、神の愛に応えることができたのです。キリスト教科学の賛美歌のことばを思い出しました:「神は、神自身の言葉を通訳する、そして、神はそのメッセージを明解にする」(p. 399)。この癒しがどのように進められるべきか考えるのは、私の仕事ではないということを悟りました。神性の愛の加護は、 例外なくすべての生き物に、感じ取られ、明解にされるのです。
数時間後、ジャックが足をなめていることに気づきました。腫れ物のうみが流れ出て、足は正常な太さに戻っていました。そして間もなく、ジャックは、ドアのところに行って、いつものように近所を回る午後の散歩に出ようとしていました。今回も、私のペットは、神の完全で霊的な創造の一部として、神によって創造され、維持されていることを、私が理解した結果、癒されました。
米国、カンサス州、リーウッド