つい2~3年前まで、私が住んでいる地域は経済の原動力だと言われていた。多数の企業を引きつけ、多くの会社がこの土地に本部を設置し、地元の人々が、その卓越した資質は土地柄であると自慢するほど、すさまじい勢いで仕事を創出していた。ところが、今日、もしこの地方に何か特徴があるとすれば、それは何ともあわれなものに違いない。最近のある新聞の見出しが、地域の苦闘ぶりを如実に語っている:「かつては成長の原動力だったこの地が、今や、全米で失業率最高の街と化す」(ロサンゼルス・タイムス、2008年11月22日号)。
恐らく、私が住んでいる地域が国有林に囲まれ、人口密度が極度に低いためだろうが、都心部の憂うつを、あるいは、ぎりぎりの生活をしている失業者の群れを、日常的に目にすることはない。しかし、私の目線で見ても、あまりにも多くの人が苦境にあえいでいる。
地元の人々はこの状況を、悪い知らせの二重の打撃と見ている。国全体が経済の崩壊に見舞われているこの時、失業するには、まさに最悪の時期なのである。そしてまた、全米で最悪の失業率を訴えるこの地域は、職探しをするには最低の地域である、と。
しかし、これほどに悲観的な展望が、最後通告なのだろうか? とんでもない。私は、少なくとも一人の人間が、この憂うつをぬぐい去った証拠を実際に見ている。私は、数ヶ月のあいだ、仕事を求めているある知人を見守ってきた。彼女は、霊的な資源に頼っていた。聖書と『科学と健康』を日々勉強して、難攻不落と思われる障壁に挑戦していた。私たちは、数回、話し合った。その結果が現実に現れて、彼女は三重苦ともいえる苦境を、見事に克服したのである。つまり、職探しには最悪の時に、最悪の土地柄で、また、希望を託すには最悪の職種と思われる中で、見事にそれらを克服したのである。彼女は公務員として働きたいと願っていたが、彼女の求める職種の雇用はすでに凍結されていた。しかし、今、彼女は良い仕事に就いている。そして、彼女は本当にその仕事を楽しんでいる。霊的資源の活用と、特に祈りが、あの「三重苦」の一つ一つを克服させてくれたと、彼女は話してくれた。
私たちは、次のように推論した。正しい状況には、正しい場、正しい時、正しい技能が含まれるが、それは、すでに彼女のために用意されているということである。イエスはかつて弟子たちに、あなたがたのために、場所を用意しに行く、と言った(ヨハネ14:2 参照)。あのキリストの行なった用意は、全く霊的なものである。しかし、その善は、人間生活の中に実際に現れてくるのである。つまり、全く霊的であるキリスト的な行動は、人間生活のなかで心配な事柄、正しい場所、物事のタイミング、そして才能の必要などに、肯定的に働くのである。キリスト、つまり、神が人間の意識に送るメッセージは、神の息子や娘である一人一人に、立派に雇用されると期待できる良い知らせを、絶えず送っているのである。
心という言葉を神の同意語として使いながら、本誌『さきがけ』の創刊者メリー・ベーカー・エディは、次のように書いている:「心は、それ自体の理念を創り出す建築家であり、そこに現れるすべてに調和を創出している」(Miscellaneous Writings 1883-1896, p.41)。考えてみてほしい。建築家は事務所を設計する際、昼食の場を、そこから10マイルも離れた場所に設定するようなことはしない。知恵は、物事が互いに正しい関係にあるように指示する。それが神の設計であれば、なおさらのことであろう。人は、神が与える能力と機会にぴったり合うように、存在しているのである。
私たちはさらに思考を深めていった。あなたは、心が設計した理念である。しかし、心は、単なるあなた以上のものを設計している。ある意味で、心は、あなたの全生涯を設計しているのである。ただし、人間生活のあれこれについて言っているのではない。あなたは、神によって、マンハッタンの北西部でピザの配達人になるとか、トヨタのCEOになるとか、神に運命付けられているわけではない。しかし、神は、あなたに、緻密さ、喜び、知恵、不屈の精神、調和など、霊的特質を与えている。このような特質は、あなたがそれを意識すればするほど、明るく輝いてくる。それらの特質が永久に活用されないなどということは、あり得ない。同様に、あなたが活用されないことも、あり得ない!このように理解することが、どんな結果をもたらすのだろうか? 私の友人の場合は、先に述べたように満足できる仕事がもたらされた。
しかし、時には、邪悪な力が人の足を引っ張り、成功を台無しにしてしまうと、感じることがある。では、どうしたらよいのか?聖書は、神が次のように言ったと記録している:「わたしは食い滅ぼす者を、あなたがたのためにおさえて、あなたがたの地の産物を、滅ぼさないようにしよう」(マラキ3:11)。これは覚えておくに値する言葉であろう。あなたは、食い滅ぼされることはない。何ものも、あなたの喜び、知恵、不屈さ、希望、堅固さを、食い滅ぼすことはできない。それゆえ、何ものも、あなたの生涯の職業を奪い去ることはできないのである。心が、あなたを支えている、そして、あなたを前進させる。あなたに備わるすべての善、あなたが宿すすべての善は、完全に実るのである。食い滅ぼす者とは、パウロの言う肉の思いであるが、今、それが、あなたが現すべき善を、消滅させることはできない(ローマ8:7参照)。この肉の思いは、脇に追いやられてしまう。あなたは、更に有用な存在になるように前進する、そして、その正しい報いを得るのである。