ぼくは、去年の9月にシニアスクール(小学校6年生)に入りました。はじめは、新しい学校の決まりや、それぞれの先生に慣れていくことなど、とても面白いけれど大変でした。それに、クラスのみんなと、すぐに仲良くなりたいと思っていました。
3週間くらいたったとき、ぼくに意地悪なことをしたり、言ったりする、男の子が出てきました。毎日、その子は、クラスのみんなは、ぼくのことが嫌いなんだと言ったり、クラスのみんなの前で、そのように言いふらしたりしていました。
はじめは、その子を無視しようとしていたけれど、逆にもっとひどくなって、ぼくもとても頭に来ました。学校に行くのがとても嫌になってしまいました。
ある日の放課後、その子は、ぼくのお母さんや、家族の悪口を言い出して、ぼくは、とても腹が立ちました。オーケストラの練習に行かなければならなかったけれど、そんな気持ちになれなくて、お母さんに電話して迎えにきてもらいました。
家に帰る途中、お母さんと話していて、ぼくはこの子のことを、違った目で見なければいけないことに気づきました。この子もぼくも神に支配されていて、「神の手の中にいる」のだから、ぼくは、この子が神の子のように話したり行動してくれると、期待できるはずでした。
それに、お母さんは、ぼくが、怒ってしまった自分を責めないで、自分を許さなければいけないと言いました。ぼくは、前の学校でみんなに意地悪をする男の子が、周りから嫌われて、誰も彼と遊ばなかったときのことを思い出しました。そこで、ある日、一人でいるその子の所へ行ったら、「何しに来た?」と言ったので、ぼくが、「遊ぼうよ」と答えると、その子は、びっくりしていました。「ぼくは、君を許したよ」と言うと、とても喜んでいました。ぼくも、とても嬉しくなりました。ぼくは、キリスト教科学で学んだことを使って問題が解決できたのでした。
でも、今度は、とても大きな問題のように思われました。
そこで、お母さんとぼくは、神の子についてもっと話し合いました。そして、毎日、ぼくが学校で、この男の子が神の子を表す良い所を2つ以上見つけるという、作戦を立てました。はじめは、ぼくはその子の髪の毛がきれいだというくらいのことしか、良い所が見つかりませんでした。でも、2日目には、4つも見つかり、次の日は、もっと見つかりました。ぼくは、この子の良い所を見つけてゆくのが楽しくなりました。この子は、詩を書くのがうまいし、サッカーも上手だし、質問に答えるときは慎重にちゃんと考えていました。そして、自分の友だちには、優しく面倒見がいい子でした。一週間たったころ、ぼくはこの男の子がとても違う風に見えてきて、ぼくたちは仲良くなってきました。
それからは、ぼくが物をなくして探していると、その子が真っ先に手伝ってくれたりしました。何度も自分のサッカーチームに入って遊ぶようにと、誘ってくれました。今は、とても仲良しです。それ以来、ぼくは、この子が誰に対しても、意地悪をしているのを、見たことがありません。
英国、ハンプトンヒル