つい先日のある日曜日の午後、マリオン・ストダートさんに会う機会に恵まれました。彼女は、マサチューセッツ州の北東部を流れるナシュア川を浄化することに、大きく貢献した女性です。
1960年代にマリオンさんがこのプロジェクトに着手した頃、ナシュア川は、全米で最も汚染された10の川のひとつとされ、生態系は死滅していると考えられていました。ところが、マリオンさんには夢がありました。川を生き返らせ、岸辺に緑地帯を作って、野生生物が繁殖し、人々が楽しめる憩いの場にしたい、と願っていたのです。しかし、彼女の計画は、州議会のみならず、川に工場廃水を垂れ流している製紙会社その他から、さまざまな抵抗を受けました。彼らは、高額な費用がかかる浄化装置や他の改善策に、賛成するという雰囲気ではありませんでした。
私がマリオンさんに最も感心したのは、どれほど大変な難題に直面しても、そして、あるものは今日もなお未解決なのですが、彼女は決して失望しないということでした。あるとき町の公聴会で、あなたはなぜそのように前進し続けることができるのですか、と聞かれたときも、彼女は快活に、自分は否定的な思考を一切受け入れないのです。そしてむしろ、すべての争いを、学ぶ「機会」として捉え、同時に、教え、啓発する機会、自分自身の理解を深める機会として考えるのです。そしてその結果、それを良い変化をもたらす力にするのです、と答えました。
マリオンさんの生き方は、この雑誌の創始者であるメリー・ベーカー・エディが、『科学と健康ー付聖書の鍵』の中で見事に述べていることを、例証しているように思います:「わたしたちにとって最も必要なことは、慈しみを増したいと熱望する祈りであって、忍耐・温順・愛・善行となって 表われてくるものである」(p. 4)。事実、このように「慈しみを増したい」、自尊心と我意を捨てて、神性の心の導く指示に従って、すべての人に善をもたらしたい、という意志がいや増すことが、この世の大小さまざまの争いを、平和的かつ恒久的な解決に導くのだと言えるでしょう。
『さきがけ』には、このような祈りによる対処法が、いかに霊的に有効であるかを示す記事が数多く載っています。そして、ある筆者、世界平和の構築に励む組織を運営しているリビィ・ホフマン氏は、厳しい紛争の最中に、「たとえ何が起こっても、神は、前進する考えの一つ一つが展開しゆくことを、守り、支える」ことを知るに至ったと書いています(「許すことを決意する」参照)。どんな争いのなかにも、善の到来を見いだす可能性が秘められているのです!