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地震から守られ、 激しい腰痛から癒される

キリスト教科学さきがけ』2011年07月 1日号より

キリスト教科学さきがけ, July 2011


2011年3月  11日、最上階にある私のアパートに入ろうと、ちょうど鍵穴に鍵を差し込もうとしたとき、下の階から大きな叫びが聞こえてきました。そして、建物が激しく揺れていることに気がつきました。私は囲いのある戸口に立ったまま、廊下の壁にもたれて足をふんばっていました。心臓が激しく鼓動していましたが、私は、「がすべての場所にいる。がすべての場所にいる」と、祈り続けました。揺れはなかなか止みそうもありませんでした。下の階から女性の悲鳴が聞こえたので、階段の手すりから体を乗り出して、日本語で「大丈夫。何もかも、すべて大丈夫、」と大声で言いました。悲鳴は止みました。その後、横揺れが続きましたが、間もなく止みました。日本に住んで18年になりますが、こんな激しい地震は始めてでした。揺れが止んで、私は完全に冷静を取り戻し、平安を感じました。 皆が無事であることを確認するため、階段を降り、そして必要に応じて励ましの言葉をかけました。

私たちが住んでいる周辺では被害は無く、守られていると感じましたが、私はテレビが映し出す被害の甚大さに圧倒されました。再び私は「がすべての場所にいる」と祈り、破壊の跡を目前にしても、の愛は私たち皆と共にあるのだと心の中で唱え続けていました。

東日本大震災のあと数日というもの、道行く人々には呆然とした表情が見られましたが、「私たちは皆で一致協力して乗り越えられる」という力強さが感じられました。この期間、私はまた、自分が今まで日本で経験したことが無いほどの暖かい笑顔や、心からの「ありがとう」という正直な感謝の言葉に出会いました。このようにがどこにおいても、またあらゆる人によって反映されていることを目撃したとき、私は、メリー • ベーカー • エディが「主の祈り」に与えている霊的解釈のなかの「そして、は愛に反映されています」(『科学と健康』、p.17)という言葉の意味を、より深く実感しました。私自身もその愛に包まれていることを感じていました。そしてまた、世界の人々が日本のために祈ってくれていること、そして、その祈りが私たちに励ましと癒しをもたらしてくれていることを実感していました。

このように沢山の善を目の当たりにし、実際に経験していたので、私は、間違った情報が海外に届き、世界の人々の間に流されていることに対して心が痛み、怒りを覚えていました。私は自分のメールのリストに載っている人々に、自分の周りで起こっている善い事柄を長いメールにして、知らせるようになりました。私は「真実を知らせる」草の根運動を立ち上げていたのです。しかし、それは大変に時間のかかる、また労力のいる仕事でした。私はいつしか激しい腰痛に苦しみ始めました。

3月20日、私は東京でキリスト教科学の「天使の声に耳をかたむける:愛と癒しのメッセージ」という講演に出席しました。この講演で、多くのインスピレーションと慰めを与えられ、私は講演のあいだ中、また、引き続き催された集会においても、心地よく座って いることができました。しかし、家に帰った途端、痛みは以前より強くなって戻ってきました。翌日、私は、体力を使い、体を自由に動かす必要がある重要な仕事をすることになっていました。助けを求めて、キリスト教科学の実践士に電話すると、彼女は私が自由であることを断言し、私のために祈ってくれると親切に言ってくれました。その電話のすぐ後で、その月曜日の仕事がキャンセルになり、次の金曜日に変更になったとの電話を受けました。私はまだ痛みを感じていたので、ほっとしました。この良い知らせを伝えるため実践士に連絡したところ、彼女は、「委ねることです。に仕事を委ねるという意味で、委ねるということは、とても重要な概念です」と言われました。その瞬間、私は、自分がの仕事に就こうとしてることに気がつきました。日本で起こっていることの「真実を知らせる」必要がある、という非常に強い責任感を覚え、大変な負担を、私は誤って自分に課していたのです。私は、自分で真実を知らせる必要はなかったのです。キリスト教科学の勉強を通して、私は、真理、つまりは、私たち一人一人に常に話しかけていることを学んでいました。このことがはっきり分かった瞬間、私は、即座に癒されました。それ以来、腰痛に苦しむことはありません。癒しは一瞬にして起こり、恒久のものです。息子の助けと励ましで、私はブログを始めましたが、それはただ書くことの喜びと、地震の余波に関連して私が得ている良い経験を他の人と分ち合うためのものです。今や、私は、がもたらす良いことと、の結果である癒しのみを、目撃できることを理解しています。


『さきがけ』の使命

1903年に、メリー・ベーカー・エディは、『キリスト教科学さきがけ』を創刊しました。その目的は、「真理の普遍的活動と有用性を宣言する」ことでした。ある辞書によると、『さきがけ』定義は「先発の使者」(先触れ、先駆け)ー 後に起こる事が近づいていることを告げるために先立って送られる者、使者」であり、『さきがけ』という名称に重要な意味を与えています。さらにまた、この定義は、私たちの義務を指し示しています。それは私たち一人一人に課せられた義務であって、私たちには、私たちの『さきがけ』がその責務を十分に果たしているか見届ける義務があるのです。この責務はキリストと不可分であって、まず初めに、イエスが、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」(マルコ 16:15)と述べて、表明したものでした。

Mary Sands Lee (メリー・サンズ・リー)、Christian Science Sentinel, 1956年 7月 7日

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