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「平和と喜びと力」は、神から与えられた私の権利

キリスト教科学さきがけ』2011年08月 1日号より

キリスト教科学さきがけ,  August 2011


私は、大学3年のあるとき、1週間に2つの研究発表をするという、非常に忙しい緊張した日々を送っていました。この2つの研究発表は、学期の成績に大きく影響するものでした。そして、このとき、日本に住む母が訪ねて来てくれることにもなっていました。

そんなある朝、目が覚めると、非常に気分が悪く周りの物が全く見えませんでした。とても授業に出られる状態ではないと思いましたが、その日、例の2つの研究発表をしなければなりませんでした。授業に出ようか出まいか迷っていたとき、「起きて、行きなさい」という、静かな、そして愛に満ちた声が、はっきりと聞こえてきました。私は、その通りにしました。どうやって広い校庭を横切り、最初の授業のある教室にたどり着いたのか、全く覚えていません。教室に着いた途端、体全体が働かなくなったように感じ、崩れるように座りこんでしまいました。このとき、私はとてもがっかりしていました。症状が、私がまだ小さかったころ時々経験していたものに似ていたからです。気落ちするあまり、私は泣き出してしまいました。この様子に気づいた教師が、私のところに来て、「今日は、寮に帰りなさい。研究発表は後日でいいからと言ってくれました。ところが、この教師の言葉で、私はいっそう気落ちしてしまいました。というのも、自分は癒されていなかったのだと感じ、そして、更に悪化するかもしれないと、心配になったのです。

寮に向かって歩いていると、 視力を失うのではないかという恐怖にかられました。寮のカウンセラーは寝ていたので、相談に行くことはできないと思いました。親友は授業に出ていましたし、両親に連絡することもできませんでした。私は、とても不安で、心細くなっていました。

私は、目を閉じて、この状態から抜け出せるよう、に助けを求めました。すると、正にそのとき、同じ寮に住む生徒が後ろから来て、「大丈夫なの?」と声をかけてくれました。私は、「具合が悪いの」と言うと、また泣き出してしまいました。それから、私は彼女に、何か心に響くものを読んで欲しい、と頼みました。彼女は私の部屋に来てくれ、私がベッドに横になると、「の調整の法則」というアダム・ディキー氏による記事を読んでくれました。彼女が読んでくれているあいだ、私は、意識がもうろうとしていて、記事が示す形而上学的な考えを具体的に覚えてはいないのですが、非常に慰められたことは確かです。彼女が読み終わると、私は自分で祈り始めました。メリー・ベーカー・エディ作詩の「母の夕べの祈り」という賛美歌を思い出し、とくに、「いと静か、います、平和と、喜びと、力」という言葉が、繰り返し私の意識に浮かびました。私は、自分は、の愛する子であり、から授かった権利として、平和と喜びと力を備えていることを、考え続けました。私には、この症状から解放される権利がある。私の健康は後退できない、なぜなら、の理念は、幸福と進歩のみを経験するように造られているからです。また、は、私を完全に、そしての映像と似姿にお造りになったという考えを、意識から離さないようにしていました。が、の子らすべてについて計画している完全さ以外のものを、反映することはできないのでした。

心の平安を取り戻して起き上がったところ、前よりずっと物がはっきり見えることに気づきました。私は、次の授業に出て、2つ目の研究発表をすることにしました。発表は、とてもうまくゆき、自分が進歩していることに励ましを覚え、嬉しくなりました。その後、母と会う約束の食堂に、昼食をとりに行きました。

母が到着したときには、私は完全に癒されていました。これは、私にとってなんと素晴しい癒しだったことでしょう! この経験は、私をより一層に近づけてくれ、自分の真の身分、また自分と、でありであるとの関係を、よりはっきり認識させてくれました。私は、この苦しい経験が、恵みであったと考えています。それ以来、このような症状を経験することはなく、私は心から自分は癒されたと感じています。自分がを反映し、決して後退することなく、常に、、健康、そして生命、生活全般について、理解をより深めていることを知ることができるのは、素晴しいことです。



ステイシー・バードは、日本で育ち、米国、イリノイ州のプリンシピア大学で政治学を専攻し、社会学、アジア研究なども学びました。現在、母教会の「聖書教課」刊行物制作部で働いています。

『さきがけ』の使命

1903年に、メリー・ベーカー・エディは、『キリスト教科学さきがけ』を創刊しました。その目的は、「真理の普遍的活動と有用性を宣言する」ことでした。ある辞書によると、『さきがけ』定義は「先発の使者」(先触れ、先駆け)ー 後に起こる事が近づいていることを告げるために先立って送られる者、使者」であり、『さきがけ』という名称に重要な意味を与えています。さらにまた、この定義は、私たちの義務を指し示しています。それは私たち一人一人に課せられた義務であって、私たちには、私たちの『さきがけ』がその責務を十分に果たしているか見届ける義務があるのです。この責務はキリストと不可分であって、まず初めに、イエスが、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」(マルコ 16:15)と述べて、表明したものでした。

Mary Sands Lee (メリー・サンズ・リー)、Christian Science Sentinel, 1956年 7月 7日

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