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論説

膨大ながれき、多くの解決策

キリスト教科学さきがけ』2011年11月 1日号より

The Christian Science Monitor, October 3, 2011


3月に日本で起きた津波の災害は、ある試算によると、45分の間に100年分のがれきを生じたということである。

残されたのは、高く積み上げられた廃車の山、壊れたコンクリ-トの山また山、こなごなに割れたガラスの廃墟、裂かれた木材の荒野、曲がりくねった鉄筋のジャングル、そして、更にどこまでも続くがれきの山々である。この大惨事以前から、日本は世界有数の最先端の資源再生システムを誇る国であった。今や、この島国は、資源再生のインフラを更に前進させねばならない十分の理由を持つ。「もろもろの山と丘は低くせられ」(イザヤ 40:4)、という聖書の約束を、祈りをもって真剣に考えるべき時がもしあるとすれば、今こそ、その時なのかもしれない。

祈りのように、静かに、世間に広く知らされることがないものが、これほど巨大な問題に影響を及ぼすことができるのだろうか?確かにできるのである。結局のところ、どれほど大きな災害であれ、それは無限のほどに大きくはなく、問題の対処に必要な精緻な理解をもたらす唯一の遍在するほどに、大きくはないのである。キリスト、つまりから人の意識に送られてくる正しい理解のメッセージは、いかなる場合にも、到達しうるのである。

祈りが、現存する再建計画に取って代わるべきであるというのではない。しかし、祈りは、考えを、神性の霊感と理解の源泉に向け、最高の手段に導く霊的支えとなることができるのである。すると、更に新しい方策が見えてくる。最初は、問題が山積されているように見えたものが、画期的な解決策に変わってゆく。例えばここに、これまであまり問題にされてこなかったが、木材を効果的に処理すると思われる提案がある。木を細かく砕き、そえを根覆いのように使うのである。つまり、使用不能となった原子炉の周りにこれを敷き詰め、周辺一帯を覆うのである。そして、木やきのこを植える。(ある種のきのこには、放射能を強力に吸収する性質がある。)きのこに放射能を吸収させ、育ったきのこをどんどん収穫しては、焼いて灰にする。その灰はガラス容器に入れて、長期間保存する。

要するに、祈りに満ちた意識が状況全体を包み込むと、様々な考えが生まれて、難問が消えてゆく。それまで考えもしなかった方策が示される。どのような新しい考えが生まれ、あちこちに積み上げられている膨大ながれき、全く無用としか思われないがれの山を低くしてゆき、その過程で他の問題をも解決してゆくことができるのか、今はまだ誰にも分からない。

問題の鍵は、「日本は、この100年分のがれきをどうするのか」ではなく、私たちはどうしたら、の問題解決法への理解を、より一層深め、具体化することができるか、なのではないだろうか。実は、良い模範が既に示されている。

ネヘミヤについて考えてみよう。旧約聖書が伝えるこの人物の物語は、エルサレムのユダヤ人社会が消滅しようとしているときの話である。この都市を囲う城壁はひどく壊れ、修理が必要だった。ネヘミヤは、ペルシャ王に仕える酌人の役職にあったが、城壁を築くという天命を果たすためには、それはなんの役にも立たなかった。彼には、がれきを再利用するなどの経験もなかった。しかし、彼のこの当然の経験不足は、神性の霊感と霊的理解によって、十二分に補われたのである。彼が知っていたと思われる聖書の言葉に、自らに仕える者の一人に、「わたしはあなたの言葉にしたがって、賢い、英明な心を与える」(列王上3:12)と述べた、と記されている。によって、の子ら一人一人に授けられるこの理解は、事態を一変させるのである。

ネヘミヤは、城壁の実地調査をし、城壁再建の実権を与えられ、再建計画に必要とされる現地の人々の支持を得ると、仕事に突入した。確かに、妨害やつまずきもあった。今日の視点から展望すると、その中には、日本が直面している挑戦を見事に予測させるものがあるように思われる。例えば、ネヘミヤの下で作業していた一人が、「灰土(つまり、がれき)がおびただしので、われわれは城壁を築くことができない」(ネヘミヤ、4:10)と報告してきた。しかし、がれきは、聖書の時代においても、今日でも、霊感が示す解決策に導く霊的理解より高くそびえることはできないのである。結果はどうだっただろうか。城壁は完成したのである。これは、の能力の証明である。の理解が働いた例証である。

キリスト教科学の教科書、メリー・ベーカー・エディ著『科学と健康ー付聖書の鍵』は、この理解の力の重要性を強調している。この書物は、100年以上前に出版されて以来、その示す真理は無数の問題の山に対峙し、それらを低くしてきた。そして、それらの問題を膨大な霊的癒しの記録に変えてきた。山のように列挙された諸問題を、祈りによって解決してきた。これらの善の達成は、実は、霊的に照らし出される答えを求めるときに必然である、神性の賜物によるのであることが分かる。

興味深いことに、霊的理解は、人が自らを教育して得られるというものではない。その理解は、無限のであり、全能のであるから来るのである。は、この理解を人類に授ける。が、それを展開させる。そこで何が起こるのだろうか。それは、あたかも、理解がそれ自身で行動を起こし、生産性を促進するかのようである。この理解は、高め、導く。それはまず最初に、人間の思考を高める。そして次に、その思考を、人類にとって本当に最高の善を行うことができるところに導いてくれる。『科学と健康』は、「は、理解を授けて、この理解が意識を高め、あらゆる真理に導き入れる」(p. 505)、と述べている。21世紀のもろもろの危機は、紀元第1世紀以前のものと同様、大きくのしかかってくることはない。これらの危機は、解決されるのである。

『さきがけ』の使命

1903年に、メリー・ベーカー・エディは、『キリスト教科学さきがけ』を創刊しました。その目的は、「真理の普遍的活動と有用性を宣言する」ことでした。ある辞書によると、『さきがけ』定義は「先発の使者」(先触れ、先駆け)ー 後に起こる事が近づいていることを告げるために先立って送られる者、使者」であり、『さきがけ』という名称に重要な意味を与えています。さらにまた、この定義は、私たちの義務を指し示しています。それは私たち一人一人に課せられた義務であって、私たちには、私たちの『さきがけ』がその責務を十分に果たしているか見届ける義務があるのです。この責務はキリストと不可分であって、まず初めに、イエスが、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」(マルコ 16:15)と述べて、表明したものでした。

Mary Sands Lee (メリー・サンズ・リー)、Christian Science Sentinel, 1956年 7月 7日

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