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2011

1960年代の末、私は Christian Science Monitor 紙の記者として、ベトナム戦争がもたらしている影響について報じていましたが、「人の意識に語りかける、 神 から人への神性の伝言」である キリスト が、 神 の平和の国に住まう人の真の本性について、私に何を告げているか聞こうとして、日々、祈っていました。 戦争と暴力の証拠がどれほど目前に提示されていようとも、私は、(聖書が示す)兄弟をも殺させる冷酷なカインのコンプレックスに、人が陥りやすいという考えを絶対に受け入れまいと、必死に努力していました.

3月に日本で起きた津波の災害は、ある試算によると、45分の間に100年分のがれきを生じたということである。 残されたのは、高く積み上げられた廃車の山、壊れたコンクリ-トの山また山、こなごなに割れたガラスの廃墟、裂かれた木材の荒野、曲がりくねった鉄筋のジャングル、そして、更にどこまでも続くがれきの山々である.

親愛なる教会の会員と、友なる皆さまへ 来るべく1年間のテーマとして定めました「活気に満ちた教会」について、お伝えしたいと思います。 教会という理念は、過去何世紀にも渡って、キリスト教の伝統の中でさまざまな形で定義されてきました.

テレビのニュースで、マグニチュード7.2の地震がトルコ東部のエルジシュの町を襲い、崩壊し、ヴァン地方を揺るがしたことを知るとすぐ、私は、今、祈らなければならないと思いました。 トルコに住んでいますので、たとえ被災地から離れていても、被災された方々に自然に思いをはせました.

それは、何という言葉であろう! 私はこの言葉に深い畏敬の念を覚える。 この言葉は、何と広大な世界にひろがり、君臨していることであろう! 何か他から由来したものではなく、比類のない、無限にして 全て なる善、この唯一なる 神 のみが、 愛 である.

天使たちが私たちを訪れるとき、私たちは羽ばたきの音を耳にしたり、鳩の胸の羽毛に触れたように感じたりはしません;しかし、私たちは、天使たちが私たちの心の中に造リ出す愛によって、その存在を知るのです。 どうかあなたも、この感触を得ることができますように、— それは、手を握り合うことでも、愛する人が側にいることでもありません;それ以上のものです:それは、あなたの道を照らす霊的な考えです! 詩篇の作者は、「 主 があなたを天使たちに守らせられる」、と言っています.

教会の財政的問題の解決は、会員一人一人に、また彼らの預貯金額に、依存するものではないことを、私は理解するようになった。 供給は、 神 、神性 原理 から、直接来るのであることを知ることができるように祈っていると、私たちの「眠れる理解を…霊的理念の会得へと…」(『 科学 と健康』p. 583) 目覚めさせてくれる.

母教会の記録文書資料部で働き始めたとき、私はメリー・ベーカー・エディの生涯とその業績を研究する中で出会った歴史資料から、自分がどれほど多大な影響を受けることになるか、予想もしていませんでした。 文書資料は、エディ夫人の高潔さとキリスト教精神に満ち満ちていました.

私は、大学3年のあるとき、1週間に2つの研究発表をするという、非常に忙しい緊張した日々を送っていました。 この2つの研究発表は、学期の成績に大きく影響するものでした.

2011年3月  11日、最上階にある私のアパートに入ろうと、ちょうど鍵穴に鍵を差し込もうとしたとき、下の階から大きな叫びが聞こえてきました。 そして、建物が激しく揺れていることに気がつきました.

『さきがけ』の使命

1903年に、メリー・ベーカー・エディは、『キリスト教科学さきがけ』を創刊しました。その目的は、「真理の普遍的活動と有用性を宣言する」ことでした。ある辞書によると、『さきがけ』定義は「先発の使者」(先触れ、先駆け)ー 後に起こる事が近づいていることを告げるために先立って送られる者、使者」であり、『さきがけ』という名称に重要な意味を与えています。さらにまた、この定義は、私たちの義務を指し示しています。それは私たち一人一人に課せられた義務であって、私たちには、私たちの『さきがけ』がその責務を十分に果たしているか見届ける義務があるのです。この責務はキリストと不可分であって、まず初めに、イエスが、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」(マルコ 16:15)と述べて、表明したものでした。

Mary Sands Lee (メリー・サンズ・リー)、Christian Science Sentinel, 1956年 7月 7日

『さきがけ』について、その使命について、もっと知る