何年も前のある朝のこと、 当時、息子と2人の孫と一緒に住んでいたのですが、私は家の階段で、つまずき、転んでしまいました。転んだとき、足がボキっといったのが聞こえ、それと同時に、ものすごい痛みを感じました。すぐに孫に、お隣に行って、助けを頼んでくれるように言いました。
助けを待っているあいだ、メリー・ベーカー・エディ著の『科学と健康—付聖書の鍵』の中にある「存在についての科学的声明」を用いて、心から祈っていました。それは、「物質には、生命も、真理も、知性も、実質もない」(p. 468)という言葉で始まります。私は、自分が滅びるもの、骨や、その他の物質からできた肉体の存在ではないことを、確認していました。神の子として、私の存在は100%霊的で、そこには、骨折や脱臼の可能性はまったくないのです。
お隣の人が来てくれると、まず、電話を私の手元まで持ってきてもらい、私はキリスト教科学の実践士に電話をして、科学的祈りを通して助けて欲しいとお願いしました。それから、お隣の人は、私が居間のソファーまで行けるように、手を貸してくれました。
傷口の手当をするため、キリスト教科学の看護師に来てもらうよう、手配しました。看護師は、私の足に包帯を巻きながら、聖書と『科学と健康』のなかの助けとなる言葉を、声に出して言ってくれましたが、それに大変慰められました。
私は、また、次の引用文を熟考していました:「事故について、神、すなわち不滅の心は知らないのである、そこでわたしたちは人間的基礎に立つ信念を捨て、唯一の心と一体にならなければならない、こうしてこそ偶然というものはなく、すべては神の誤りない指示によるという正しい観念に考えを変えて、調和をもたらすことができるのである」(『科学と健康』、p. 424)。
私は、神が、すべてを常に加護し、管理していること、それゆえ、私の変わらない調和と健康が、自分にも、はっきり見えるはずであることを、認識していました。私は、家族の者たちが、医師に診断された糖尿病、心臓疾患、前立腺ガン、奥歯のひび,歯の根幹の感染、偏頭痛など、キリスト教科学で癒されているのを見てきたので、安心して、キリスト教科学の祈りに頼ることができました。
夕方、息子が夕飯の用意をしてくれ、私ができるだけ楽になるように、助けてくれました。痛みのため、足首も、つま先も、動かすことができず、そして足に体重をかけることができませんでした。夕食ののち、8歳の孫娘が、私に何か読んであげてもいい? と聞いてきました。彼女は、夜の8時まで、詩篇を読んでくれて、それから寝床を整えてくれました。子どもが持つ純粋さと、優しい気遣いに、どれほど勇気づけられたことでしょう!
2時間ほどしたとき、足の痛みが非常に激しくなったかと思うと、突然、痛みが消えてしまいました。その瞬間、私は癒されたことを感じました、また、キリスト教科学で 心的外科手術 と呼ぶものを、体験したことが分かりました(『科学と健康』、p. 401-402参照)。私の祈りと実践士の祈りを通して、複雑骨折していたらしい骨が、調整されたのです。体重をかけることもできて、足首も、つま先も、痛みを感じることなく、動かすことができました。
ところが翌日の午後、同じ階段を降りながら、また転んで同じ足を痛めてしまったのです。足が、かなり腫れて、変色してきたので、息子に近くの病院に連れて行ってもらいました。
医師を待つあいだに、これまでの病歴などについて書き込む書式を渡されました。医師は、私が、過去34年間、何の投薬もいっさい受けていないことに気づき、簡単な身体検査をしたあと、私は非常に健康であるとの診断を下しました。それから、私の足を診察し、私を、レントゲン室に送りました。
かなりの時間、待たされたのち、医師は、レントゲン写真を持って戻ってきました。彼は、骨折の痕はあるが、その骨が完全につなぎ合わされ、すでに治癒し始めている、と嬉しそうに言ってくれました。それから、足に包帯を巻き、その足で、どのように歩くかを教えてくれました。
それから何日か、私は、祈り続けました。次のような考えに支えられ,導かれていました:「神は、「すべてにおけるすべて」である;そして、天におけるように地上においても、神が全能で、至上である」(『科学と健康』、p. 17)ということです。 神が統治していること、そして、私の存在のすべてを支配していることを、確認しました。
2回目に転んだ3日後、私は10人のお客さまのためにクリスマス・イブの夕食を用意しましたが、何の痛みも無く、普通に歩くことができました。それから,何年も経った今、私は、80代で、幸せに、健康に、活発に、また、足に何の不自由もなく過ごしています。
米国、フロリダ州、ナイスビル