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光の交わり

キリスト教科学さきがけ』2009年10月 1日号より

The Christian Science Journal, December 2008


私はオレゴン州ポートランドに住んでいるが、近くを流れるウィラメット川の土手には、背の高いポプラ並木がつづいている。これら自然の番兵のように立ち並ぶ樹木は、冬になると葉を落としてしまうが、それでも、川向こうの夜の明かりをほとんど吸い込んでしまう。

ところが、クリスマスになると、1本の10数メートルにも及ぶアメリカモミの木に飾られた色とりどりの光が、川の上方に、またポプラの木々の間から、美しく輝く。私は、夜明け前の、あたりがまだ暗闇の中にあるとき、書斎の窓からこれらの光を見ることを楽しんでいる。それは、天使のメッセージである「静かな細い声」について語り、が、降誕節に私に送ってくれるメッセージである。

ある12月の朝、腰を下ろしてこの木のテッペンに輝く星を見ていると、その星の上方に、もう一つの光が見えた。朝霧のなかで、この2つ目の光が何から来ているのか、分からなかった。早朝に空港に向かっているジェット機なのだろうか? いや、違う、その光は動いていないのだから。そして、ただ静かに、照明をほどこされた木の上方で静止して輝いている。

それから、一瞬に、霧が晴れた。私は細い三日月のかすかな光を見ることができた。その下の方の尖った先端は、木の上の星にそっと触れているようだった。この光景を通して、の御使いのメッセージは、私に何を告げているのだろうか? それは、「よきおとずれ」を伝えているのだろうか?

そのとき、三日月は、イスラム教のシンボルを、思い起こさせた。そして、クリスマスの星は、ダビデの星、ユダヤ教のシンボルを、思い起こさせた。朝霧に包まれた静けさの中で、これら古代のシンボルが、美しく触れ合っているのを見て、私は思った:ベツレヘムの星は、ダビデの星の兄弟で、イスラム教の三日月に手を差し伸べているのではないだろうか? このキリストの身のひきしまるような冬の朝、あの星と三日月は、アブラハムのすべての子ら、つまりキリスト教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒の皆が、唯一のの子らである私たち皆が、一つになって、平和になるようにと,呼びかけているのではないか? 私は長いあいだ、静かに座って考えていた。

夜明けが近づき、木の上の星の光も、三日月の光も、弱まり、新しい一日の陽の光りの中に消えていった。しかし、その静かなメッセージは、いつまでも消えずに、クリスマスのもつ深い意味、つまり、キリストの普遍的な力と現存を、私に思い起こさせてくれている。

『さきがけ』の使命

1903年に、メリー・ベーカー・エディは、『キリスト教科学さきがけ』を創刊しました。その目的は、「真理の普遍的活動と有用性を宣言する」ことでした。ある辞書によると、『さきがけ』定義は「先発の使者」(先触れ、先駆け)ー 後に起こる事が近づいていることを告げるために先立って送られる者、使者」であり、『さきがけ』という名称に重要な意味を与えています。さらにまた、この定義は、私たちの義務を指し示しています。それは私たち一人一人に課せられた義務であって、私たちには、私たちの『さきがけ』がその責務を十分に果たしているか見届ける義務があるのです。この責務はキリストと不可分であって、まず初めに、イエスが、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」(マルコ 16:15)と述べて、表明したものでした。

Mary Sands Lee (メリー・サンズ・リー)、Christian Science Sentinel, 1956年 7月 7日

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