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父親の絶望感が、癒される

キリスト教科学さきがけ』2009年10月 1日号より

The Christian Science Journal, December 2008


「娘を思う深い悲しみとともに、犯罪を犯した青年への嫌悪感を、私は抱きつづけていた…」

自分の娘に性的暴行を働いた犯人を許せるようになるまで、父親として、誰でもがたどるかもしれない厳しい道程を、想像してみてください。しかし、私は「真理のもろ刃の剣」(『科学と健康』、p. 458)によって、驚くほど速やかに癒されました。それは、次のような経過をたどったのです。

まだ十代の娘が、性的暴行にあったと聞いたとき、最初に考えたのは,娘の身体と心の健康でした。私たちは、すぐにキリスト教科学の実践士に電話をして、娘のために祈って欲しいとお願いしました。私は、仕事をすべて休み、娘のことに集中しました。祈りの中で、娘が、ひとときも、の加護と安全から離れたことはなく、彼女の無垢は、完全で、不変であることを、確信しました。時が経ち,警察が取り調べを始めると、娘の癒しも始まろうとしていました。妻と私は、 高校の教務主任たちに会って、この事件の結果、娘に起こっているさまざまの社会的、また学業上の問題に対処することに務めました。私たちは、娘を、年度が終わる前に転校させてもらうことにし、次の学年は別の学校に通えるように、手続きを進めました。生活は平常に戻りつつあるように思われたのですが、私自身には、まだ大きな問題が残されていることに、気づきました。

娘を思う深い悲しみという形で、私は、大きな難題に直面していました。私の「愛すべき子」が、性的暴行を受けた状況を、刑事に詳しく説明するのを聞くのは、本当につらいことでした。私は、頭に強く残ったその光景に、つきまとわれていました。ジャーナリストとして、都会のあちこちを車で走り回っていることが多いのですが、一人で運転しているとき、自分がどこにいて、何をしているのか、分からなくなってしまうことがよくありました。もう、済んでしまったことで、どうにもならないと知りながらも、あまりにもひどいことに思われました。私のいとおしい、まだこんなに若い、創造性に富む娘が、計り知れない傷を負わされていたのです。私は、絶望的な気持ちに陥っていました。

私は、やっと涙を押さえ、目的地に着くという状態でした。心がもぎ取られるような思いと戦いながら、車の中でしばらく静かに気持ちを落ち着かせてから、職務である仕事に心を集中し直さなければなりませんでした。この思いから解放されたいと祈ったのですが、何週間というもの、この同じことが繰り返し起こってくるのです。この悲しみは、いつも、どこからか忍び寄り、そして、いつも突然、襲ってくるのです。

私は、娘のことで、たまらなく悲しくなるばかりでなく、この犯罪を犯した青年に対して、深い憎しみの念を抱いていました。その青年には数年前に紹介され、「よい青年」だと思っていたのですが、今や、彼を心から憎んでいました。また、彼に対して、このように敵意を抱くことは、正当化されるのだと感じていました。その時は、暴行者に対する気持ちと、娘を思う悲しみとの間に、関連があるようには、思えませんでした。

そして、ある朝、まだベッドに横になっているとき,優しい、キリストのメッセージが耳に聞こえてきました:「立ち上がりなさい」。キリスト者らしく、彼を許しなさい、容易なことではないでしょうが、あなたが、いつも「言っていることを、実行しなければならないのです」、本当に、「実行しなさい」。私は、キリスト教科学を、小さい時から勉強してきました。日曜学校で教え、支教会の第1朗読者も勤め、祈って欲しいと他の人に頼まれたこともあります。そんな人生を歩んできた以上、自分が主張してきたことを、実生活の中で、実践しなければならなかったのです。自分に、難問が襲いかかってきたとき、人はどのように対処したらよいのでしょうか。難問が、「自分の方」に向かってきたとき、私たちの考えの「防衛隊」をさっさと退去させてしまうのでしょうか。それとも、私たちが「説いてきたこと」を、実際に、生かすのでしょうか。私は、この青年を、いつか、許さなければならないことを知っていました。しかし、自己正当化と、そして、自分自身を(他の何者でもなく)、これほどまで罰していることの無知ゆえに、許すということを「いつの日か」というリストに、入れてしまっていたのです。私たちは、誰かを許さないということは、何らかの方法でその人を罰しているというふうに、考えがちです。しかし、許すとは、に、つまり、本来それが帰属するところに、審判と矯正を任せることなのです。

そこで、私は、許しなさいと促されたのです、いや、それはむしろ、即刻、許しなさい、という命令でした! 皆さまはきっと、この話が、この先、許すことができるまで、葛藤しながら、長くつづいていくものとお考えでしょう。しかし、そのようなことには、ならなかったのです。私は、謙虚になって、その言葉に従い、立ち上がって、2階から1階に降りて、いつも祈る場所に行き、この過ちを起こした青年を許すことができるように祈りました。私は、自問しました、「には、何が見えるのだろうか?」と。

その答は次のようなものでした:は、自分の創造したものを、自分の反映として見ている、完全で、純粋で、とがめる所がない」ものとして見ている、というものでした。私の許しを決定的なものにしたのは、は、この青年のうちに、自分自身の姿を見ているということでした。は、この青年をそのように評価していることを、私は知ったのです。

「そうか、がこの青年を無実であると見ることができるなら、それが彼の本当の姿に違いない」と、私は思いました。

それで終わったのです。数分のうちに、すべて済んでしまったのです。この若者をどう見るのか、の導きに従うことに決めました。もうそこには、 の清らかな反映だけがいて、「犯罪者」はいなかったのです。 目に見える「犯罪」は、アダムの夢の一部、メリー・ベーカー・エディが、物質的な経験における幻覚のようなものと述べているもの、として処理することができました。そこに行き着くためには、謙虚さが必要でした。子育ての中で学んできたことは、困難を引き起こす最大の原因は、「自分」であるということでした。私たちは、時には,悪が実在すると、確信してしまうのです。そして、その不和が、愛する人、あるいは、とても大切にしている崇拝の対象に関連するなら、まるで巨大な掃除機のように、 私たちを、吸い込んでしまうのです。そして、最大の崇拝の対象とは、「自分」なのです。許すために、私は自己正当化の考えをすべて捨て去り、謙虚に、私の神性のの導きに従わねばなりませんでした。

それから、1週間以上経って、いつものように、車で、仕事で地域を走り回っていて、ふと気がついたのですが、もう以前のように、私は娘をかわいそうに思う非常な悲しみにうちひしがれて、 車の中で暗い時間を過ごすことがなくなっていたのです。私は確かに癒されていました。この許しが、娘の経験について、繰り返し考えたり、絶望的になったりすることに、終止符を打ったのです。私は、自分で自分を、罰していました。しかし、今や、自由になりました。そして、喜ばしいことには、娘も、前進して、新しい学校の環境を楽しんでおり、社会生活に苦しむこともありません。私は、最終的に、あの犯行を犯した若者を許すことができたのですが、正義を追求する人間的な努力は機能しており、彼を法的に裁く手続きが進展しています。

大変な悲劇が、キリストのメッセージの力強い、純粋さによって、迅速に、効果的に、解消されてしまうことに、私は、これまでも度々驚かされてきました。

この娘との体験が、メリー・ベーカー・エディが、Miscellaneous Writings 1883-1896(p. 51)の中で引用している、トーマス・ムーアの詩を、より意味深いものにしてくれました:

真理の唇からもれる、偉大な一息が
つむじ風のように、風の中に追い散らす
あの人間のまがい物の、敵意の山となっていたものを;
そのとき、の統治が地上で始まる、
そして、2度目の誕生のように、新たに、始まる、
人は、 世界の新しい春の日の光の中を、
何か聖なるもののように、透明になって歩いてゆく。

私は、キリスト教科学科学に深く感謝しています。それは、私たち一人一人が、まるで透明になって歩いてゆくように、純粋に、無垢に、神性なるものとして、歩ませてくれます。何か聖なるもののように。

『さきがけ』の使命

1903年に、メリー・ベーカー・エディは、『キリスト教科学さきがけ』を創刊しました。その目的は、「真理の普遍的活動と有用性を宣言する」ことでした。ある辞書によると、『さきがけ』定義は「先発の使者」(先触れ、先駆け)ー 後に起こる事が近づいていることを告げるために先立って送られる者、使者」であり、『さきがけ』という名称に重要な意味を与えています。さらにまた、この定義は、私たちの義務を指し示しています。それは私たち一人一人に課せられた義務であって、私たちには、私たちの『さきがけ』がその責務を十分に果たしているか見届ける義務があるのです。この責務はキリストと不可分であって、まず初めに、イエスが、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」(マルコ 16:15)と述べて、表明したものでした。

Mary Sands Lee (メリー・サンズ・リー)、Christian Science Sentinel, 1956年 7月 7日

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