The Christian Science Journal(ジャーナル誌)の2011年11月号で、母教会の会員であることが、自分にとってどんな意味を持つかについて書いて欲しい、という記事を読んだとき、1960年代の初めに母教会から受けた電話の声が、耳元で聞こえてくるようだった。今まで、それが何を意味するのか完全に理解していなかったのだが、その電話が私の霊的成長にとって極めて重要な基点となっていたのである。
私は十代に入って間もなく母教会の会員となって、日曜学校に通い、20歳になったときには支教会会員となり、その後さまざまな教会の仕事に携わってきた。この間、キリスト教科学の文字を忠実に守りながらも、そこに求められる精神が、なにか私の中に欠けていた。
日曜学校の級友と結婚し、3人のすばらしい子どもに恵まれ、眺めの良い自分たちの好みに合わせて設計してもらい建てた家に暮らして13年後、私の結婚は突然終わりを迎えた。それは、双方の家族にとって、親しい友人らにとって、また長いあいだ家族を支えてくれたキリスト教科学の実践士にとっても、あまりにも衝撃的なことだった。そこで、私は自分が事態を収拾し、気丈でいなければならない、と思っていた。外面的には良くやっていたが、内面的にはそんなにうまくやれなかった。まるで心の中の明かりが消えてしまったようで、その明かりを取り戻すことは不可能のようだった。
しばらくのあいだ、私は子どもたちと私の両親の家の地階に住んでいた。両親と親切な実践士に支えられて、私は再び職に付き、家族が何とか暮らしていけるようになり、やがて小さな自分たちの家に引っ越した。
しかしついに、私は自分が「良いキリスト教科学者」ではない、という思いに打ちのめされてしまった。私は母教会に手紙を書き、私の名前を会員リストから取り消して欲しいと書き、その理由として、自分が会員に値しないと思うため、と短く説明した。私は、水曜毎に、また日曜礼拝毎に、真理の言葉を聞きながら、それらの言葉を真に理解するための努力をせず、また自分から勉強することもなく、日課説教すら勉強していなかった。私は教会に参加しながらも、霊感を求めるというより、習慣として出席していたのだった。
私の手紙がボストンの母教会に着いた正しくその日に、電話をしてきてくれたにちがいない! そのとき電話から伝わってきた溢れるような優しさと暖かさ、そして励ましを、私は忘れることができない。「キャロリンさん、私たちには、あなたの退会を受け入れる用意がありません。あなたの会員であることを 「一時保留」ということにしておきます。もし今後、やはり退会したいと思われたら、お知らせください。私たちは、祈りをもって、あなたをお支えしてまいります」。私は、父-母神なる愛に包まれていた。電話を切ると、涙がとめどなく流れた。
その電話の言葉は、キリスト教科学の教科書の言葉、「あなたの置かれた事情に対して、あなたの感覚が苦しみ、腹立たしく悩ましく思うその時に、愛は、あなたが気づかぬうちに、天使をもてなすようにすることができる」(『科学と健康』、p.574)を正に物語っていた。
遅々とした厳しい旅路ではあったが、その後の年月の間、あの天使は幾度も私を訪れてくれた。キリスト教科学のクラス指導を受け、いくつかの支教会で働く恵みも受けた。やがて私は教会で長年知り合っていた友人と結婚した。25年ほど私を支え共に歩んでくれた彼が亡くなったとき、私は再びあの父-母神なる愛の現存を感じて、死の悲しみからすばやく立ち直ることができた。
それで、今は順風満帆であろうか? もちろん、そんなことはない! それにもし、そうであったら、私の霊的成長は滞ってしまうかもしれない。でも、私は日々、実在をよりよく知り、感じることができている。そして、あの電話を受けた日に、いつか私が実践士としてジャーナルのリストに連なるようになるなどと、誰が予想したであろうか? あり得ないなどとは、決して言わないことだ。神は私たち一人一人のために計画を持っている、そして、ゆっくりだろうと、速かろうと、その計画は必ず実現するのだ。
最後に、この話の締めくくりとして、私の最初の主人と私は、今や親しい友となっていることを書き添えておきたい。