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揺るぎなく、 神の法則を実証する

『キリスト教科学さきがけ』2018年03月20日号より

The Christian Science Journal 1974年6月号より


の法則、つまりの完全な宇宙の、調和ある秩序を維持しているもろもろの法則を、私たちは日々の生活の中で働かせなければならない。これらの法則の実証は、当て推量によるものではない。聖書とメリー・ベーカー・エディの著作を合わせて勉強すると、これらの規則が明白になる。これらの規則を実証する目的は、身体的、道徳的、あるいは環境に関する癒しをはるかに超えたものであり、これらも重要には違いないが、その目的は、あらゆるものの中で最も重要な必要を満たすことである。キリスト教科学において、実証するということは、を見いだす道程であり、の完全性をより深く見つめること、の全能、遍在、全知を実感することである。

この重要な目的を心にしっかり抱いていることが、キリスト教科学の癒し手を常に支えてくれる。人は、とかく、あまりにも早急に、まだの法則を実証している只中にありながら、 諦めてしまおうとする誘惑にかられる ― まだ本格的に始める前に、十分に先へ、十分に高く進まないうちに、敗北を認めてしまうのである。完全な実証に至るためには、より多くの勇気と、忍耐と、粘り強さ、そして喜びが、しばしば必要とされる、そして、最後までやり遂げるならば、勝利は約束されているのである。あるとき、エディ夫人は授業の中で次のように告げた:「皆さんがキリスト教科学の黎明に喜びを見いだしていらっしゃることは、私にとって嬉しいことです; しかし、皆さんは子午線、つまり最も高い点にまで、至らなければならないのです。よく見張り、祈り、実証しなさい」。

を知ることによって、私たちは真の人を知る、それは、人はの似姿に創られているからである、そして、こうすることにより私たちは、日々の生活のなかで、の完全な法則を実証することができるのである。そこで、あなたは次のように思うかもしれない、私たちはこのの法則とどんな関係にあるのだろうか、また、この法則を有効に働かせるためには、私たちにはどんな務めがあるのだろうか、と。その答えはただ1語、「従順であること」である。

私たちは、あまりにも多くの場合、書かれていることをただ読むだけで、読んだことを実行するために必要なことに、十分心を傾けていないことに気付く。定められた規則に進んで従うことをせず、ただ癒しが来るのを受け身で待って時を過ごしている。ところで、私たちは、数学の問題を解くのに法則に従わずに、つまり、必要なことをしないで解くことはできない。足し算をすべき時に引き算をし、割り算をすべき時に掛け算をしたのでは、正しい答えは得られない。同様に、癒しには従うべき規則があるのである、そして私たちはそれを実行しなければならない。私たちは、初めから終わりまで、終始一貫して、その規則に従順でなければならない。私たちは、ただ癒しを待っていることを止めて、祈りに従って行動を起こし、に導きを求めて耳を傾けるならば、次に取るべき一歩が示されるであろう。

キリスト教科学における癒しとは、どういうものなのか、また、適切に行うならば、なぜ癒しは必然なのかを、はっきりと理解することが大切である。医学的見地に立つと、癒しは、身体を変化させることによって、健康になり完全になることを目指している。一方、キリスト教的科学的見地に立つと、癒しとは霊的に再生することであり、それによって、不調和は、どんなものであれ、人間の信念が科学的真実に場を譲るに従って、滅ぼされるのである。

科学的癒しは、何かを変えることではない。それは、の映像であり似姿である人を、いよいよ現すことである、つまり、もっとよく見えるようにすることである、そして、キリスト・イエスが行なったように、完全性を見極めることによって、それを行なうのである。イエスは病気の人を健康な人に変えたのではなかった。彼は人間の心による信念の霧を貫いて、完全で、霊的な実在を見たのである。すると、癒しの働き、効果は、瞬時に起こった、なぜなら、病気は物質の中に埋め込まれたものではなかったからである。病気とは、人間の心の映像、つまり信念が、身体と呼ばれるスクリーンに投影されたものであった。イエスが行なったことは、催眠術的信念を打ち破って、自分は病気だと思ったり、罪深いと思ったりしていた人々を、その呪縛から解き放つことであった。彼らは、即座に自分が自由であることを意識したが、真実には、彼らはそれまでも常に自由だったのである。

キリスト・イエスは、どのようにして、道で出会った重い皮膚病にかかっていた10人の人々を癒したのかを、考えてみてほしい。イエスは、彼らに「祭司たちのところに行って、からだを見せなさい」と言われた。そして、「行く途中で彼らはきよめられた」2 と、ルカは記録している。このほんのわずかな時間のあいだに、この病気による体の状態がすべて消え去ってしまったのである! イエスの癒しは、物質を蘇生させるために、時間を全く要しなかった。それは、病気の証拠が、物質に埋め込まれたものではなかったことを証明している。病気は、スクリーンに投影された映像と同様に、体に投影された映像、つまり信念、幻影であって、イエスが真理の光を当てると、その投影された信念は完全に消えてしまったのである。

従って、癒しとは、何か現に存在するものを除去しようとする試みではなく、ただ誤った印象を打ち壊すことであるから、どんなに反対の証拠が示されていようとも、勇気をもって、の法則に立脚していることができる。私たちがこのの法則に忠実であれば、虚偽を即座に見抜くことを習得するであろう、つまり、イエスが行なったように、虚偽を見抜き、虚偽を超えて、実在する完全なものを見極めることを習得するであろう。不調和は、どんなものであっても、物質が実在するという仮想の上に立脚している。しかし、物質は実在しないのである; 物質は幻想なのである。肉体の感覚が何かを主張するとき、キリスト教科学によると、それは、物質と呼ばれる幻想が、病気と呼ばれる別の幻想を具現しているのであって、しかもそれは、人間の心と呼ばれる更に別の幻想の扇動によって起こっていることなのである。エディ夫人は述べている:「病気、悪、死滅性のように見えるものは、肉体の感覚の幻想である。これらの幻想は、実在せず、非実在である」。3  

時には、癒しに時間がかかり、病気の信念がいわゆる慢性の状態になる場合があるが、その理由の一つは、私たちが人間の心の幻想に、初めから十分力を尽くして抵抗していないことによるのである。私たちは、我が家に帰り、本を手にして、心地よい椅子に座る時がくるまで待ってはいられないのである。不調和の暗示に気付いたら、直ちにその場で抵抗し始めなければならない。そして、の法則を守ることを決意したら、私たちは揺るぎなく努力して進み、しかもその努力を、絶えず更なる高みへと向かわせなければならない。

私たちは、しばしば、「ローラーコースター方式」を使おうとする誘惑にかられる。一瞬、実在をはっきりと垣間見て意識を高めながら、その後、肉体の主張が依然として存在することに気付いて、無関心、恐怖、落胆の深みに落ち込んでしまう。私たちがすべきことは、まさにその逆であって、落胆の淵に落ちたと思われるときには、進歩の印が見えても見えなくとも、進歩していることを確信し、それを断言し続けるべきなのである。調和が最終的に完全に現れるために、これは必須である。直ぐに始め、その努力をあくまでも続けること、そして自分が実感した真理は、どれほど小さなものであっても、その一つ一つに価値があることを正しく認識すること、これが勝利への道である。そして、これこそ従順であるということであり、の法則を揺るぎなく適用することである。

忠実であろうとする努力は、決して無駄ではないことを喜ぼう。あらゆる正しい考えと行為は、真理の光を、地上の暗いところに投げかけている、そして、その光は、私たちばかりでなく他の人々をも助けているのである。神性科学は、エディ夫人が私たちに気付かせてくれているように、私たちにとって不可欠なものである:「私たちは、神性科学を家庭においても、炉辺にあっても、祭壇においても、必要としている、なぜなら、この科学によって、私たちは何世紀にもわたる戦いに勝利するからである。私たちは、この科学を生活の中で実行することによってのみ、この科学を自分のものとすることができるのである」。4

1 The First Church of Christ, Scientist, and Miscellany 『第一科学者キリスト教会と文集』 p.254

2 ルカ 17:14 

3 Rudimental Divine Science、 『神性科学の基本』、 p.11 

4 Miscellany、『文集』、 p.126

『さきがけ』の使命

1903年に、メリー・ベーカー・エディは、『キリスト教科学さきがけ』を創刊しました。その目的は、「真理の普遍的活動と有用性を宣言する」ことでした。ある辞書によると、「さきがけ」の定義は「先発の使者」(先触れ、先駆け)ー 後に起こる事が近づいていることを告げるために先立って送られる者、使者」であり、『さきがけ』という名称に重要な意味を与えています。さらにまた、この定義は、私たちの義務を指し示しています。それは私たち一人一人に課せられた義務であって、私たちには、私たちの『さきがけ』がその責務を十分に果たしているか見届ける義務があるのです。この責務はキリストと不可分であって、まず初めに、イエスが、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」(マルコ 16:15)と述べて、表明したものでした。

Mary Sands Lee (メリー・サンズ・リー)、Christian Science Sentinel, 1956年 7月 7日

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