4時間の社交ダンスパーティーで、私は、大いに楽しみながらノンストップで2時間ほど踊り続け、そして最後にチャチャチャを踊っていたときだった。突然、右顎がしびれ、すぐに、右腕から右足までしびれて、感覚が無くなってしまった。
私は、キリスト教科学者として、今までの生涯、自分の祈りによって、また献身的なキリスト教科学の実践士の助けを得て、たくさんの癒しを経験してきた。今、自分の身に起こったことに対する恐ろしい病名が考えに浮かんだが、私は、神が私に与えてくれているもの、つまり善意、完全であること、身体を自由に動かせること、正常であること、喜び、その他あらゆる良い性質が、自分の年齢ゆえに、それらに似ないものに陥りやすいという信念を、きっぱりとはね返した。
私は、聖書が約束している真実、「災はあなたに臨まない」(詩篇91:10)と、メリー・ベーカー・エディ著、『科学と健康―付聖書の鍵』の中の言明:「霊は神である。そして人は、神の映像であり、似姿である」(p.468)、の真実を心から確信していたので、これらの真実に反することを受け入れることを拒否した。私はダンスの相手に中座することを告げて、寒い2月の夜であったが、ダンス会場を出て自分の車に向かった。車の中で、私は携帯電話で娘に電話をかけた、そして彼女が電話にでるなり、「今すぐ、私のために祈って欲しい」と言った。彼女は、「どこにいるの? 何かあったの?」と尋ねた。 「今、ダンス会場の駐車場にいるの。まもなく、あなたの家に向かいます。私が健康で、すべてのことを正常にすることができると確信して、祈ってちょうだい」、と私は答えた。私はまた、創世記に示されている真実:「神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった」(1:31)を、私が完全に受け入れることができるように、そして、私がそれ以外のものであり得るという主張を完全に拒否して、私を助けて欲しいと頼んだ。娘は快く同意してくれた。
歩くのが困難になって、車まで行くことが大変だった。ところが、ダンスの相手に、自分は帰らなければならないと告げるため、再び会場に入って行ったとき、私は、正常に歩くことができたのである。友人は誰も、私に起こったことに気づかなかったし、ダンスの相手と二人で会場を出たときも、誰も私にどうしたのかと尋ねる者はいなかった。
なぜ、私は、ダンスの仲間たちには知らせずに、静かに、そして即座に、癒しを求めて神を信頼することができたのだろうか? おそらく友人たちは、私を治療のために救急治療室に送り込もうとしてくれたことだろう。しかし、私は、心の底から、『科学と健康』の中の次の言明、「実在のものはすべて、永遠である」(p.353)、を信頼していたのである。
永遠は、過去と現在を含むはずである ー そしてそれは、体を不自由にさせるような病気を、決して含むものではない。神の善なる創造物の実在は、健康、自由、そして正常な機能を含んでいなければならない。これらのものは、この事態が起こる前からすでに私のものであった、そして、今も、これからも永遠に、私のものであることを、私は知っていた。
1時間ほど運転して、娘の家に着いた。その晩は、娘の家に泊まった、いつものように、2人の孫息子の世話をしてあげるためであった。毎朝5時半に起きて、2人の孫息子の世話をすることは、私にとって大きな喜びだった。翌朝、目が覚めたときには、私は、あのダンス会場で起こったことを全く忘れていた。いつも通りに、皆のためにたっぷり朝食を作り、娘は仕事に出かけて行った。それから、孫たちのお弁当を作り、ペットたちに餌をやり、宿題の手伝いをし、学校から帰って来たときのおやつを用意し、下の孫息子をバス停まで送り、犬を40分散歩させた。その日、自分の家に帰って初めて、前の晩のことを思い出した。なんの後遺症もなかった。あるのはこの素晴らしい癒しと、私のために娘が愛情をもって快く、そして即座に、効果的に神に祈ってくれたことに対する神への感謝ばかりだった。
私が母教会の会員であること、私と息子が地元の支教会の会員であること、エディ夫人が私たちの霊的成長のために備えてくださったすべての道に対して、そして日々の生活の中で、神とキリスト・イエスへの愛を適用することができる機会に対して、私は心より感謝している。
米国、ウィスコンシン州、レイク ジュネーブ
ソネット ティペンス
Sonette Tippens