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アルコール中毒から解放された

キリスト教科学さきがけ』2018年03月12日号より

The Christian Science Journal、 2016 年9月号より転載


ここに記す癒しは、私の人生において最も重要な意味を持つ経験であった、そして、それはまるでほんの昨日起こったことのような気がするのである。35年前の7月のある日の午後、は私と共にいてくださった、そして、は常に私と共にいてくださること、今なお、の力と現存は、私の人生や生活のただ中にあることを感じている。

それは何年も前のことになるが、当時私が直面していた深刻な状況について、ここで細かく語るつもりはないが、ただ、何年にも及ぶアルコールの飲み過ぎで、私は、ついに、しぶしぶながら、自分には問題があるということを認めざるを得なくなっていたのである。私の人生は破滅状態で、結婚生活も問題を抱えていた。それでも、私は自分の力だけでなんとか切り抜けられると思っていた。私は大学を出ていて、元米国海軍の将校だったが、後に自分の会社を作って経営していた。私はいつも自主的に物事を解決するやり方で、問題が起こると、その都度、解決してきた。しかし、今回は様子が違っていた。問題が山積してくるなか、私はアルコールの力を借りてそれらを「解決」していたのであるが、その結果、ストレスが溜まるばかりだった。プライドが私の敵だった。そして、これ以上、こんなことを続けてゆくことはできないことに気付いた。

この間、妻はずっと私を支えてくれ、時々、キリスト教科学の実践士による治療を受けてはどうかと勧めてくれた。結婚当初、彼女は私にキリスト教科学を紹介し、その癒しの力について話してくれていたが、私はそのような霊的な方法に効果があるとは考えられず、キリスト教科学がそんな可能性を持つことに、全く気付いていなかった。私は、医者やソーシャル・カウンセラーに相談し、また、アルコール中毒者救済協会にも行ってみたが、どれも効果がなかった。私は心から癒されたいと願い、癒しを必要としていたが、見つけることができなかった。

ある日の午後、困惑しきっていると、妻が私に再び、キリスト教科学を試してみたらどうかと言った。彼女はキリスト教科学の雑誌、The Christian Science Journal(クリスチャン・サイエンス・ジャーナル)を差し出して、この雑誌にキリスト教科学の実践士のリストがあるから、そこから誰か選ぶことができると言った。翌日、妻が仕事で留守のあいだに、私はある実践士の電話番号を見つけ、彼女のオフィスに電話をした。その人はすぐに電話に出て、明るい声で答えてくれた。私は電話をかけた理由を告げ、助けてもらえるかと尋ねた。「はい、お助けしますよ」という確かな、確信に満ちた返事が返ってきた。彼女は、私に、聖書とキリスト教科学の教科書である、メリー・ベーカー・エディ著の『科学と健康―付聖書の鍵』を持っているかと尋ねた。私は「持っている」と答えた。私たちは一緒に聖書を開き、彼女は創世記の第1章を読み始めた。私は、一語一語、ついていった。メッセージは明解であった ― がすべてを創造し、「それは、はなはだ良かった」(31節)のである。人はの映像、また似姿に創造されている、そして、私はその人であった。

それから、彼女は詩篇の一節を読んだ。私は再び、そのあとについて読んだ:「はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない」(23:1)。私たちは、聖書のさまざまの書や節を読んでいった。彼女が選び、読んでくれた節を、2人で一緒に読んでいった、そうしているうちに、その言葉が私の心に深く浸透していった。私は、自分の考えの中で起こり始めている変化については分からなかったが、実践士が示してくれたもろもろの真理は、非常に深く、純粋であって、とても良いものであることが分かった。一節一節を一緒に読んでいると、私たちはまるで一つの心を持っているように思われた。私たちの心は、本当に一つになっていた。言葉に火がついて、私の心の中で燃えていた。私は、が無限であること、の力には限界がないこと、そして、もし、私が自分の考えをこの真理に開くことさえできるなら、私は自由になることができる、そして、きっと自由になるであろう、ということが分かったのである。

それから一瞬、間をおいて、実践士は次のように言った、「ビル、あなたの人生には穴があいていて、あなたはそれを偽りの実質でいっぱいにしているのですよ」。その言葉を聞いた途端、何かが変わった;私は、ある悟りを得たのだった。私は、それを感じることができた。癒しが、今にも起ころうとしていた! 彼女は私に単刀直入に次のように告げた、ー つまり、真理と生命と愛 ー が、真の実質であって、私の生命の唯一の実質であること、そしてを理解することは、真の実質で満たされることであり、それが人に満足感を与えるということを、教えてくれた。彼女は、考えが霊的実質で満たされているなら、アルコールを求めることはないでしょうと言った。「そのようになりますように」と、私は思った。それに続いて、自分は完全であると、私は心から感じたのだった。

実践士は、すぐに霊的治療を始めましょうと言った。彼女は私に『科学と健康』の「はしがき」の最初のページを開くようにと言い、その最初の文を読んでくれた、そして私たちは電話を切った。私は『科学と健康』を手に取り、そのページを開いて読んだ:「無限の支えに寄り頼む人々にとって、今日の恵みは大きい」 (p.vii) 。私は声に出してこの文を読み、「はい、よ、私は寄り頼んでいます!」と言った。それから、私は、また大きな声で、「はい、よ、私は寄り頼んでいます!」 と叫んだ。

すると、何か自分では説明できないことが起こった。部屋が光で満たされ、私は聖なる地に立っているかのように感じた。そして直ちに、すべて大丈夫だ、ということが分かった。私はに、これから私は何をすべきなのでしょうかと尋ねた。聞こえてきたのは人間の言葉ではなかったが、「たとえ、あなたが何をするにしても、の栄光のためにしなさい」、というものであった。どのくらいの間、この明るい光を受けた状態にあったか、自分には全然分からない。

その後、私は妻に電話をして、キリスト教科学の実践士に電話をしたこと、そして、完全な癒しを受けたことを告げた。私は自分が何か問題を抱えていたということさえ、全く思い出すことができなかった。元に戻りたいとは、全く思わなかった。私は長年アルコール中毒症にあったのだが、それが一瞬にして消えてしまったのである。私の結婚生活も維持された、そして、妻と私は、今なお幸せな結婚生活を送っている。

聖書には、次のように書かれている:「わたしは盲人を、彼らのまだ知らない大路に行かせ、まだ知らない道に導き、暗きをその前に光とし、高低のある所を平らにする。わたしはこれらの事をおこなって彼らを捨てない」 (イザヤ42:16)。

この最初の癒しに始まり、私は多くの癒しを経験し、恵みを受けている。私の心は、キリスト教科学に対して、キリスト教科学初級クラス指導を受ける機会を与えられたことに、また教会会員の交わりに、そしてキリスト教科学の発見者であるメリー・ベーカー・エディに対して、感謝の気持ちでいっぱいである。

米国、ミズーリ州、フロリサント
William Woodford, ウィリアム・ウッドフォード

『さきがけ』の使命

1903年に、メリー・ベーカー・エディは、『キリスト教科学さきがけ』を創刊しました。その目的は、「真理の普遍的活動と有用性を宣言する」ことでした。ある辞書によると、『さきがけ』定義は「先発の使者」(先触れ、先駆け)ー 後に起こる事が近づいていることを告げるために先立って送られる者、使者」であり、『さきがけ』という名称に重要な意味を与えています。さらにまた、この定義は、私たちの義務を指し示しています。それは私たち一人一人に課せられた義務であって、私たちには、私たちの『さきがけ』がその責務を十分に果たしているか見届ける義務があるのです。この責務はキリストと不可分であって、まず初めに、イエスが、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」(マルコ 16:15)と述べて、表明したものでした。

Mary Sands Lee (メリー・サンズ・リー)、Christian Science Sentinel, 1956年 7月 7日

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