最近、ある水曜の証しの会での朗読が、土台、岩、教会の基盤を、主題とするものだった。この朗読を聞いていて、私は、キリスト教科学は決して人を見捨てないということについて、考えさせられた。キリスト教科学は、たとえ、あなたがどこにいようとも、あなたのところに来て、あなたの人生を変えることができるのである。
私には、たとえ、どれほど多くの人々が私を見捨てたにしても、決して私を見捨てることがなかった母がいた。彼女以外に私のすがれるものは何もないという時が、私には度々あったのである。
私は刑務所に6か月入っていたことがある。母はあらゆる手段を使って、キリスト教科学の読み物を私に届けてくれようとしたが、刑務所の決まりでそれができなかった。そんなある日、私は母から手紙を受け取った。その手紙には、その週の聖書教課の、主題は思い出せないのだが、「黄金の聖句」、交読文、そして聖書教課の第1節が、すべて母の手で書かれていた。
それ以来、私は、毎日、釈放される日まで、母の手書きによる聖書教課を1節ずつ、受け取っていたのである。このようにして、彼女の私に対する愛情が、日々示されていた。実は、それは私を助けてくれたばかりではなかった。刑務所にいた他の人々も、私の周りに集まってきて座るようになり、私はその教課の1節を読み、彼らも霊的なものを多く受けていた。そして、私が釈放されたとき、彼らのうちの1人が、その手書きの聖書教課を置いていってもらえないかと聞いてきた。母が私に影響を与えてくれたばかりでなく、彼女とキリスト教科学は、他の人々にも大きな影響を与えていたのである。
母が亡くなってからしばらくして、私は再び刑務所の厄介になっていた。その時は、メリー・ベーカー・エディ著の『科学と健康―付聖書の鍵』を読むことができた。しかし、なぜか分からないが、私は、なかなかこの本を読み始める気になれず、1週間ほど本は放置されたままであった。
私はついにその本を開いて読み始めた。すると、私はこの本に夢中になり、本を下におくことができなかった。私は本の初めから終わりまで読み通した、ただし、「キリスト教科学を教える」の章だけは読み残していた。自分にはその章を読む用意がまだできていないように感じていたのである。私の義理の姉(妹)が、毎週、面会に来てくれていたが、私が読んでいるものについて2人で話していたとき、彼女は、それでも、その章も読んでみたら、と言って勧めてくれた。私は読み始めた、そして、その453頁に、私は再び、母の愛を見出したのである。「正直は、霊的力である。不正直は人間的弱さであって、神性の助けを剥奪する」。それは、母がいつも私に言っていたことだった。
この本が私の人生を変えた。私は刑務所を出て、4年になるが、私の人生は完全に180度転換したのである。私は、今、科学者キリスト教会の支教会の会員となり、母教会の会員でもあり、支教会の執行委員にもなっている。キリスト教科学は、私にとてつもなく多くのものをもたらしてくれた。私は、キリスト教科学に対して、また母の不屈の愛に対して、心から感謝している。
米国、オレゴン州、セーラム
デイビッド・ブランク
David Blank