私たちは、何か悪い状況下にあるとき、実際、それに抵抗する術はないのでしょうか、それとも、 神 、神性の 生命 を意識して理解することにより、自分の視野、自分の目に映るもの、を調整して、その悪い状況を変えることができるのでしょうか。 何年か前、私は実際に、自分の考えを変えることによって、事態が改善されるという経験をしました.
聖書の貴重な教え、特に キリスト ・イエスの行なった癒しの仕事の意味が、メリー・ベーカー・エディ著『 科学 と健康ー付聖書の鍵』の勉強を通して、私にますます明確になってきました。 特に最近、もっとも助けとなったのは、 神 の癒す力を絶対的に信頼することがどれほど重要であるかに気付かされたことですが、これはイエスが一貫して示していたことでした.
どの国においても、人々は 人間の自由のために闘ってきた; そして、神の正義が優先しなければならないゆえ、 すべての人は自由を得るであろう。 どの時代においても、人間の心は 平和への希望を抱き続けてきた; そして、神の意志は満たされなければならないゆえ、 奴隷状態は終止しなければならない.
18 世紀のイギリスの詩人、アレクサンダー・ポープが残した名言、「秩序は、天の第一の法則である」について、メリー・ベーカー・エディは次のように述べています:「この言明は、まさに永遠に真実であり、自明であるゆえ、公理となっているが、その知恵は、天文学や数学において明白であるように、宗教や学識全般においても明白なのである」( Retrospection and Introspection, 『回顧と反省』、p. 87)。 「秩序は、天の第一の法則である」とは、まさに公理であり、その知恵は明白です、なぜなら、秩序の不在は混とんであり、混とんには、何の構造もなく、従って、何の本体も個性もなく、表現も、美しさも、機能も、目的もないからです.
私が3才になってすぐ、祖母は、自分が会員である科学者キリスト教会の支教会の日曜学校に私を入れてくれた。 彼女自身、 キリスト教科学 を学び始めてまだ間もない生徒だった.
最近、かつて米国の市民権運動の指導者だったジョン・ルイス下院議員とのインタビューを、インターネットで見て、私は非常に感動した。 非暴力の抗議活動をしていたときに直面した悪意ある、口頭での、あるいは肉体的な暴力に対して、どのように対処したかと尋ねられ、彼は、次のように答えている:「あれから長い年月がたっているが、私は、一度も、彼らのうちの誰一人に対しても、苦い思いを持ったことがないのです.
許すこと、それはキリスト教の偉大な概念の一つですが、考えるのは容易ながら、実行するのははなはだ難しいことです。 「許し難いことを、どうしたら許せるだろうか」.
最近、ある水曜の証しの会での朗読が、土台、岩、教会の基盤を、主題とするものだった。 この朗読を聞いていて、私は、 キリスト教科学 は決して人を見捨てないということについて、考えさせられた.