今年初めに、クリスチャン・サイエンス・モニターで報道された記事に触発され、日々の献身的な祈りの力について深く考えるようになった。「すべての人を新しい光の内にみる慈悲」 “The compassion in seeing everyone in a new light,”という小見出しが付けられたその記事には、ジョージア州の学校で簿記係として働いていたアントワネット・タフさんのことが書かれている。彼女は毎朝早く、「主はわたしの牧者であって、わたしには貧しいことがない」で始まる詩篇23を読む習慣があった。当時、彼女は深刻な結婚生活と経済的な問題に直面していたが、神とともに一日を始めることが、“風が荒れ狂うときでも平安のうちに” 家を出る助けになったと言っている
その記事によれば、ある日の早朝、タフさんが職場の受付に近い部屋にいたとき、「1947年型カラシニコフ式自動小銃」(AK47)を持った男が入ってきて、「俺たちは今日みんな死ぬんだ」と告げたという。タフさんは怯えたが、母性の直観に導かれ、拳銃をもった20歳の男と話し始めた。彼女はまず「いいえ、私たちは今日死んだりしない」と彼に言った。911に電話している間、彼女は彼に 「私たちはあなたを憎んだりしないわ」「大丈夫よ、そして、私があなたを愛していることを知っておいてほしいの、いいわね?」と断言した。結局、青年は当局に投降し、誰も怪我をすることはなかった。(2023年1月3日、クリスタ・ケース・ブライアント著「市民の問題解決者:閉塞感に対する新議会へのアドバイス」Christa Case Bryant, “Citizen problem-solvers: Advice to the new Congress on gridlock,” 参照)
慰め、癒すことをできる人々が、この世の中にどれだけ必要とされていることか。すべてを愛し、支配する知性の存在である神を確認する祈りをすることから1日を始めることは、おそらく、私たちに何が起ころうとも、それに効果的に対応するための最も重要な準備なのではないだろうか。
聖書の言葉は祈りのための強力な土台となる。私は、クリスチャン・サイエンス・モニター紙の創始者であるメリー・ベーカー・エディが書いた詩篇23の霊的解釈をもとに祈るのが好きだ。それは、次のように始まる。
「[神性の愛]はわたしの牧者であって、わたしは乏しいことがない。
[愛]はわたしを緑の牧場に伏させ、[愛はわたしをいこいのみぎわに伴われる。
「[愛]はわたしの魂 [霊的感覚]をいきかえらせ(る)、. . . 」(『科学と健康―付聖書の鍵』578ページ)。
霊的感覚とは、神がすべてを包括する愛であり、いかなる恐れや脅しよりも強力であるという確信と言い換えることができる。別の詩篇にあるように、「神はわれらの避け所また力である。悩める時のいと近き助けである。このゆえに、. . . われらは恐れない。」(詩篇46:1, 2)。
霊的感覚は神の子孫である私たちにとって自然なものだが、それを養う必要がある。常日頃から祈り、神のいつまでも変わらぬ配慮を知り、それを感じている人は、恐れを乗り越え、冷静で、強く、助けられる土台を持っている。この霊的感覚は、自分自身や他の人の中にどんなに埋もれているように見えても、神の表現であるすべての人が持っている真理なのだ。日々の祈りや霊的真理について熟考することを通して霊的感覚を意識することで、癒しの愛を求める人々の自然な願望によりよく応える準備ができる。
私は大学時代、脅威的な状況下で日々の祈りの力を経験した。ある晩、人目につかない場所で一人で勉強していると、男が近づいてきて、私をレイプすると言った。私は恐怖を感じたが、すぐに、神は彼の父であり私の父でもあるので、私は彼の妹であり、彼は私を傷つけたくはないのだ、と思わず彼に向かって言っていた。正直なところ、私は自分が感じていたよりも静かに聞こえたが、その言葉は男を落ち着かせた。「われらの父よ」で始まる主の祈りなど、私が毎日実践している祈りによって、私は彼の心に届くように話しかけることができた。彼は泣きながら自分の抱えている問題を私に話し始めた。私は、神が彼を愛していることを告げた。やがて彼は私に触れることなく去っていった。
すべての被造物に対する神の実在、臨在、愛を確証するために毎日時間を取ることは、困難な時の支えとなる。それによって、私たちはあらゆる状況に癒しをもたらす準備ができている。
次の賛美歌は、命を救うこのような祈りを描写している:
ささやくような言葉が心に触れ、命を呼び戻す;
愛のまなざしは罪を遠ざけ、けがれた争いを鎮める。
(キリスト教科学賛美歌 303:日本語訳は無くこの翻訳は仮翻訳です)