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わたしが喜んでお伝えしたいこと

キリスト教科学さきがけ』2023年07月17日号より


キリスト教科学の助けがあまりにも大きかったため私はそれなしに生きて行くことは考えられないことを、喜びをもってお話ししたいと思います。

私は、女優と歌手を生涯の仕事として熱心に心をこめて追求しました。

ですから、ある日、無理がたたって歌うのを止めなければならなくなったときは、とても残念でした。喉の専門医から手術が必要な状態だと言われたのです。話すことは許されず、歌うことなどとんでもないということで、私はとても落ち込みました。

そんな時、米国から帰国したばかりで、米国でキリスト教科学を知った姉が、私の休暇先を訪れました。彼女は、私を励まし、の力、また人ととの関係をまことに愛をこめて、はっきりと説明してくれましたので、私はすぐに幸せと喜びに満たされ、少しの恐れもなく日々の発声練習をはじめました。日ごとに事態は好転し、私は再び幸せになりました。

2週間後、仕事をしていた町に戻り、まず喉の専門医を訪れました。彼はかなりの時間を掛けて診察したあと、「あなたの声帯は大丈夫です。もうこれ以上の症状はでないでしょう」と言いました。私は即座に癒されていたのです。それは28年前のことでした。それから17年間自分の専門職を続けました。この最初の癒しのあと、キリスト教科学をそれ以上探究することはありませんでした。その当時私は健康で、すべてがうまくいっていました。実にうまくいっていたのです。

しかし、第二次世界大戦の最後の年に、数多くの経験をしました。物質的に得たあらゆるものを失いましたが、これにひどく悩まされることはあまりありませんでした。もっと大変だったことは、内臓が本来の位置からずれてしまったために苦しんでいたことでした、そして、それを固定する器具を使っていたため、毎月約半分はベッドに横になっていなくてはなりませんでした。二人の幼い子供たちの世話をしなくてはならず、その上、夫が元気なのか、まだ生きているのかさえも分かりませんでした。

それから私はまた姉に科学について話してみました。私が質問で疲れ果て、助けを求めているのが分かり、姉は私に聖書とエディ夫人著『科学と健康‐付聖書の鍵』を渡し、『キリスト教科学クォータリー』にある聖書教課の勉強方法を教えてくれました。私は3カ月間、しばしば夜遅くまで、熱心に勉強しました。読んだことはどれも論理的でしたので、は今回も助けてくれると確信しました。

科学と健康』(p. 322)の次の言葉は私の経験に当てはまります、「物質の偽せの生命を信じる信念からくる厳しい経験、また同様にわたしたちの失望や、止むことのない苦悩は、わたしたちを疲れ果てた子供のように、神性のの腕に向ける」。神性のの腕を全面的に信頼して、大変重苦しい自分の心をその腕にゆだねました。すると、大いなる恵みを受けました。すぐに、助けてくれる実践士を見つけたのです。この実践士をはじめて訪問した帰りに、最後の訪問として医者を訪ね、物質的な手段を取り除いてもらいました。その後ずっと、私は薬を一切用いたことはありません。そして、その医者は1年前に手術は避けられないと言ったのですが、私は再びすぐに癒されました。

姉が聖書教課の勉強方法を教えてくれました。…読んだものはすべて論理的でしたので、は今回助けてくれると確信しました。…医者は1年前に、手術は避けられないと言ったのですが、私は、再びすぐに癒されました。

キリスト教科学の教えの正しさとその有用性を示したこの二度目の見事な証明のあと、私の心は私たちの正しく愛されている指導者に対する感謝の念で充ち溢れました。聖書と『科学と健康』は、常に一緒にいる友となり、経験するあらゆる問題をキリスト教科学で解決しようと努めました。

特に、夫のための祈りに多くの時間をかけました。彼は戦争中ロシアで捕虜になっていたことを知りました。私は、夫と分かち合うことができるように、考えに浮かんだことを、日付をつけてメモにしました。エディ夫人は書いています(同書、pp. 335、336)、「自我は、不死で、限界がない、なせなら、限界とは無知なることを意味し、それを強いるからである」。これにより、ある日、、無限のであるから、から生まれと共に存在している人は、純粋に霊的であると理論づけるように導かれました。にはいかなる境界線もありません。は全知あり、偏在です。の理念は、から切り離されることはありません。ですから、の理念である夫と私の間にはいかなる境界線もあり得ません。私はこの事実が人間的な経験として証明されることを知っていました。あとで分かったことですが、夫はロシアからオーストリアに釈放されたのです。そして、ほどなくしてドイツに到着しました。

私は、事故やその他の不調和な状態から守られていることに感謝しています。子供たちや私が経験した癒しを、喜びとともに思い出しています。その多くは、常に愛にあふれ、助ける準備ができている実践士の方々のより大きな理解のおかげです。実践士のみなさまにも感謝を表わしたいと思います。

エディ夫人が私たちにキリスト教科学を授け、その結果キリストを身近に感じさせてくれたことに非常に感謝しています。母教会とキリスト教科学小教会の会員であることに感謝しています。小教会では、さまざまな役割を果たすことができました。特に、クラス指導が、毎年行われる門下生会の会合を通して私の考えに刻み込まれてゆくことに感謝しています。

マグダ・ブレッシュ・オコン

ドイツ、オスナブリュック

『さきがけ』の使命

1903年に、メリー・ベーカー・エディは、『キリスト教科学さきがけ』を創刊しました。その目的は、「真理の普遍的活動と有用性を宣言する」ことでした。ある辞書によると、『さきがけ』定義は「先発の使者」(先触れ、先駆け)ー 後に起こる事が近づいていることを告げるために先立って送られる者、使者」であり、『さきがけ』という名称に重要な意味を与えています。さらにまた、この定義は、私たちの義務を指し示しています。それは私たち一人一人に課せられた義務であって、私たちには、私たちの『さきがけ』がその責務を十分に果たしているか見届ける義務があるのです。この責務はキリストと不可分であって、まず初めに、イエスが、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」(マルコ 16:15)と述べて、表明したものでした。

Mary Sands Lee (メリー・サンズ・リー)、Christian Science Sentinel, 1956年 7月 7日

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