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何からの退職ですか?

キリスト教科学さきがけ』2023年01月 6日号より

クリスチャン・サイエンス・センチネル 1968年1月13日号より


退職(リタイア)とは、一般に、生涯の職業から手を引くこと、後退、退くことを意味します。しかしそもそも、人の人生を占める職業とは何なのでしょうか。

イザヤ書には、「主は言われる、『あなたがたは、わが証人、わたしが選んだわがしもべである』」と書かれています(43:10)。人はそのような証人であり、神の存在を証明し、神を讃えるために存在しています。人の証しには、躊躇や減速、そして突然の停止はあり得ません。人の存在の質、活力、継続性は、地上での人の年数ではなく、神性のだけに依存するのです。

キリスト教科学の発見者・創始者であるエディ夫人は、こう述べています、「は、神自身の映像・似姿なしには、実体がないことになる、すなわちが現わされていないことになる。は、神自身の本性の証人、あるいは証明、を持たないことになる。霊的な人は、の映像、すなわちの理念であり、この理念は、失われることも、その神性原理から切り離されることもできない」(『科学と健康』、p. 303)。

キリスト教科学は、人の活動は神性の心の宇宙で永遠に続くと教えています。人は、の子供そして証人として与えられた貴重で生まれながら与えられた権利のために、活力ある神性の生命の本流にいるのである。そして、人は常にの証人であり続けなければならない。実際、の似姿である人間の性質を示す人が、ただ時を刻み座り込み、ついにはの証人としての生得権を奪われる状態になることが神の計画の一部であるなどと、キリストイエスが、述べたという記録は一切ありません。

自らの相続権や人生の目的を果たすことから自分を引き離そうとするすべてのものに対して、支配権・統治権を主張することが必要であることを、イエスの例は示しています。「わたしの父は今に至るまで働いておられる。わたしも働くのである」(ヨハネによる福音書 5:17)というイエスの言葉は、継続的な活動を示しています。

若い頃や、より高い活動に成長するまでは、世の中の職業、ビジネス、貿易に従事することは普通であり、正しいことかもしれません。イエスは大工として訓練され、間違いなく優れた職人であり、自分の仕事の中に霊的な特質を表現する方法を常に見出していました。しかし、大工として働く成人期以前から、彼は自分がより高い職業に就くための準備をしていることに気づいていたに違いありません。12歳の時、神殿で両親が彼の居場所を心配していたことを告げると、イエスはこう言いました:「どうしてお捜しになったのですか。わたしが自分の父の家にいるはずのことを、ご存じなかったのですか」(ルカによる福音書2:49)。

天の御国を人類にもたらすために、自分の時間と労力のすべてを捧げること以上に、高い職業、あるいは召命を持つことができるでしょうか。パウロは、この召命の重要性をはっきりと認識し、「目標を目ざして走り、キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与を得ようと努めているのである」(ピリピ人への手紙3:14)と言っています。

通常の、生産的で進歩的なビジネス活動を十分に経験した後、より高い召命に参加したいという願望が、このような幸せな結果をもたらすことがあります。そしてそれは退職(リタイア)とは関係なく生じることがあります。もし会社の規則で解雇が決まっているのであれば、この経験を足がかりにすることができます。外的な圧力から解放された人は、より霊的な目標に思考を向けることができ、その目標に到達するための手段を講じることができます。人生のパターンを変えるために、このような手順を踏むことは、何も憂鬱なことでも制限されたことでもありません。それどころか、今まで考えもしなかったような機会が開かれるのです。その人の日々の体験は、をもっと理解したい、他の人を助けたいという願望で満たされるでしょう。

一般に定年と言われる年齢に達していても、自営業者であったり、雇用主の規則で職業から引退する必要がない人はどうでしょうか。長年やってきた職業を退くべきでしょうか。それとも、当面、同じ職業で奉仕を続けることが、他の人にとって最も良いことになるでしょうか?その人は、自分がと人に仕えることができるより高い方法があるかどうか、自分の考えをオープンにすることが出来ます。

常に真剣な祈りで導きを求め、が自分を導いてくれていると確信すれば、必ずや答えが見えてくるはずです。一時的な解決策としては、現在の職業を続けることと、より熱心に霊性を追求することを組み合わせてはどうでしょうか。そうすれば、自然に変化が起こり、より高次のものへの適切なステップを踏むようになるに違いありません。ちょうど花がつぼみから発展していくように、適切な時期に、整然とした方法で、発展が起こるでしょう。

物質的な欲望や魅力を捨て、霊的なものを求めるようになると、自分自身の救いを実現するための自由が大きくなることに気づきます。それは、天の御国に入るという最も価値ある目標に到達することです。そのとき、しばしば恐れられている退職の経験は、決して退職ではなく、忙しいフルタイムの経験であり、人間の人生の中で最も有益な時間であることが明らかになるのです。そして、人が待ち望むことができる唯一の引退は、物質的な思考や活動からの引退、それらからの脱却、そして自分の救いの実行であることを理解することができるのです。

エディ夫人は、「普遍的な救いは、進歩と試練の上に据えられるのであり、そしてこれらなしには達成することはできない。天は場所ではなく、の神性の状態であり、そこではのあらゆる具現が調和し、不滅である、なぜなら、そこには罪はなく、人は自分自らの正義は何も持たず、聖書に言われている通り、『の心』をもっていることがわかるからである」(『科学と健康』p. 291)。

私たちが見据えるべき退職は、思考や行動からではなく、物質的な存在感の影から霊性の光に向かって出現を増していくことなのです。

『さきがけ』の使命

1903年に、メリー・ベーカー・エディは、『キリスト教科学さきがけ』を創刊しました。その目的は、「真理の普遍的活動と有用性を宣言する」ことでした。ある辞書によると、『さきがけ』定義は「先発の使者」(先触れ、先駆け)ー 後に起こる事が近づいていることを告げるために先立って送られる者、使者」であり、『さきがけ』という名称に重要な意味を与えています。さらにまた、この定義は、私たちの義務を指し示しています。それは私たち一人一人に課せられた義務であって、私たちには、私たちの『さきがけ』がその責務を十分に果たしているか見届ける義務があるのです。この責務はキリストと不可分であって、まず初めに、イエスが、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」(マルコ 16:15)と述べて、表明したものでした。

Mary Sands Lee (メリー・サンズ・リー)、Christian Science Sentinel, 1956年 7月 7日

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