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パニック 障害から癒された

キリスト教科学さきがけ』2023年07月10日号より

         


ある7月の寒い夜、遅く帰宅しました。疲れてお腹が空いていたので、台所に行き、電気コンロをつけ、お茶を飲もうとやかんに水を少し入れました。それから居間に戻り、休むため横になりました。その間お湯が熱くなっていました。

気が付くと、3時間近く経ってから全速力で台所に走っていました。そこで今まで見た事のないような恐ろしい光景を目にしました。暗闇の中でコンロもやかんも真っ赤に熱くなって光っていたのです。私は走って居間に戻り、恐れで震えていました。爆発するのではないかとか起こり得るあらゆる恐ろしい考えが浮かんできました。

落ち着かなくてはいけないと思い、台所に走って戻り、コンロとコンセントの電源を切り、壁のソケットからプラグをはずしました。それから木製の用具でやかんをつかみ外の雨の中に投げ捨てました。やかんが外の水たまりに当たったとき、巨大な飛行機が着陸した時、滑走路に強くあたったような音をたてました。これで問題は解決したと私は思いました。

厄介なことが起きようとしていることも知らずにベッドに戻りました。その夜、3回にわたり目が覚め、コンロの上に水を掛けたままにしたと思い台所に駆け込みましたが、行ってみるとコンロの上には何もありませんでした。このような状態が数年間、間隔を空けて続きました。大変不安になりましたが、これから抜け出す方法を見つけることができませんでした。

わたしは友人にこのことを訴えましたが、だれも、私に何が起こっているのか、また、どのようにして解決したらよいのかも分かりませんでした。私は、見た目は正常でしたので、友人たちには問題があるようには思えなかったようです。しかし、私は何かが非常におかしいと感じていました。そしてこれは私にとって、とてつもなく大きな不安でした。

この出来事からおよそ1年経って、私はキリスト教科学小教会に入会しました。が私をこのグループに導いてくれたと信じています。それまでの17年間、クリスチャン・サイエンス・センチネルのラジオ放送を時々聞いていました。聞いたことは、とても筋が通っていましたので、気に入っていました。それで2003年のあの日、センチネル・ラジオ番組にチャンネルを合わせた後、その番組の終わりに聞いたメールアドレス宛に、ナイジェリアの私が住んでいるあたりに、訪ねて行ってもっと質問ができる場所があるかどうかを聞かずにはいられませんでした。

eメールを送ったインタ-ネットカフェを出て5分もたたないうちに、街中が停電で真っ暗な中、私は、毎日通勤で使っている道路沿いにキリスト教科学小教会を見つけました。面白いことに、その看板を見ることができたのは後ろから来た車のライトのおかげでした。

 翌日礼拝に出席するために小教会へ行きました。その時は、朗読も礼拝順序もほんやりしたもので、良く分かりませんでした。しかし、毎週センチネル・ラジオ番組で聞いていたことと、(小教会からの贈り物の)キリスト教科学の教科書、メリー・べーカー・エディ著『科学と健康‐付聖書の鍵』を読んで得たほんの少しのことから、直感的にそこに何か善いことがあることが分かりました。

を知りたいと強く切望して、これらの聖書教課を毎日決意を持って勉強し始めました。…あとでわかったのですがパニック障害かもしれないと思われる症状から癒されていることに気付きました。あれからの4年間、それは再発していません。私は、この恒久的な癒しに対してにとても感謝しています。

やがで、センチネル誌を読み、キリスト教科学聖書教課は毎日読むべきであることを発見しました。を知りたいと強く切望して、これらの聖書教課を毎日決意を持って勉強し始めました。これはそれまで私がした最もすばらしい決断でした。勉強は魅力的でした。そして、多くの時間を費やして、「神は愛である」(第1ヨハネ4:16)や「は ”すべてにおけるすべて„ である」(『科学と健康』、p. 113)などの霊的概念を熟考しました。

教科書はこう書いています、「キリスト教科学は、が ”すべてにおけるすべて„ であること、また実在するものは、神性のと理念のみであることを反論の余地なく啓示する」(p. 109)。私は、の創造を支配している唯一の神性のであることを学びました。また、人は物質ではなく、むしろの考え(理念)であるので、霊的であり、人を造ったと同じように完全であることを学びました。そして、人はのうちに生きているので人はから離れることができないことを学びました。使徒パウロは、この点を明確にして次のように述べました、「われわれは神のうちに生き、動き、存在しているからである」(使徒行伝17:28)。私は、は遍在であり、すべての力を持っていることを学びました。たとえ、肉体の五感がこれらの事実の証拠を示すことができなくても。

私は少なくとも2年以上毎日聖書教課を勉強していましたが、夜中にコンロの水をチェックするために台所に駆けつけてから1年以上たっていたことに気付きました。あとでわかったのですがパニック障害かもしれないと思われる症状から癒されていることに気付きました。あれからの4年間、それは再発していません。

私は、この恒久的な癒しに対してにとても感謝しています。

チエメジ・アハノヌ

ナイジェリア、オウエリ

『さきがけ』の使命

1903年に、メリー・ベーカー・エディは、『キリスト教科学さきがけ』を創刊しました。その目的は、「真理の普遍的活動と有用性を宣言する」ことでした。ある辞書によると、『さきがけ』定義は「先発の使者」(先触れ、先駆け)ー 後に起こる事が近づいていることを告げるために先立って送られる者、使者」であり、『さきがけ』という名称に重要な意味を与えています。さらにまた、この定義は、私たちの義務を指し示しています。それは私たち一人一人に課せられた義務であって、私たちには、私たちの『さきがけ』がその責務を十分に果たしているか見届ける義務があるのです。この責務はキリストと不可分であって、まず初めに、イエスが、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」(マルコ 16:15)と述べて、表明したものでした。

Mary Sands Lee (メリー・サンズ・リー)、Christian Science Sentinel, 1956年 7月 7日

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