数年前、私は家族と一緒に「洞窟探検」に参加しました。私たちは地下深い洞窟に入り、岩をよじ登り、つららのような鍾乳石から水がしたたり落ちる中、ゆっくりと注意して歩きました。唯一の光は強力なヘッドライトだけでしたが、ガイドはある地点で、ヘッドライトを消すように指示しまた。真っ暗闇に立ち、恐れで一杯になりました。するとガイドは一人にヘッドライトをつけるようにと言いました。すると、そのたった一つの光で、身がすくむような恐怖は消え去りました。前進できるのは、せいぜい一歩、できても二三歩でした。
今日、多くの人々が、健康、財政、安全についておびえ、恐怖と戦っています。あの洞窟でたった一つの小さな光が恐怖を消し去ったことを思い出し、それが大きな助けとなっていることに気付きました。
聖書全体に、神の存在は光として伝えられています。創世記に「『光あれ』と言われた。すると光があった」と書かれています。キリスト教科学の創始者であるメリー・ベーカー・エディは、その著書、『科学と健康‐付聖書の鍵』に、神は「無限」であると描写しています。無限にすべてであることとは、全て善である神が存在しないところはあり得ないという意味です。ですから、恐れにとりつかれていても、そこに無限の神、善は存在しているに違いありません。この存在を認めることがあの小さな光となり得るのです。
今日世界で、私たちはこれをどのように実践したらよいでしょうか?エディ夫人は、神を表わすもう一つの言葉、愛に言及し、愛は「利他の香り高く、すべてを美と光の中に浸す」と述べています。私たちが、現在起きている変革のなかで、またはその変革自体を、どのように支えたらよいか、その答えを家族や地域の人々と一緒になって、見いだそうとしているとき、この愛が存在していることを、目の当たりにしているのです。
私たちが、神性の愛の存在に感謝し、それを認め、その優しさと思いやりの心を表現し始めるとき、恐れの暗闇は消え去ります。神に由来する私たちの光は、私たちを前進させ、詩篇の作者が約束したように「夜でさえ、私のまわりを昼のように光り輝かせる」ことができるでしょう。