何年も前のこと、私は、露出した岩の上に高くそびえ立つケリバス城への狭い小道をやっとの思いで登りました。それは、かつてスペインとの国境のフランス側に建てられた5つの要塞のひとつで、難攻不落の防御システムとなっていました。頂上からの眺望はどこも思わず息をのむような美しさでした。
人生や生活の色々な面で、あまりにも確信が持てなくなってしまったとき、私たちは誰でも、確固たる安心感を切に求めます。私は、答えを聖書が説明する神に求めました。聖書は、神を「わが岩、わが城、… わが高きやぐら」と描写しています。そこで、私は、熱心に祈って、神が、生命や生活の動かされることのない土台であり、私たちの家族やそれを越えた広い地域の人々も含め、一人一人を、どんな場合でも幸福で健康であるように、温かく見守っている、ということを理解しました。私たちの霊的土台を理解しようとするこの祈りは、時には、岩だらけの道を一歩一歩登るようであり、また、時には、聖書が、鷲の翼に乗るようだと描いている、舞い上がる高揚感を与えてくます。しかし最終的には常に深い満ち足りた安心感をもたらします。
岩山の頂上にそびえ立つケリバスは、中世の宗教戦争の間、隠れ場でもありました。そこを守備していたのは兵士15人の小さな守備隊であったことを知り驚きました。彼らは、休まずに警戒し、敵の攻撃をうかがわせる、いかなる気配も見のがすことはありませんでした。守備隊が怠りなく警戒していたため、彼らは長い年月、打ち破られることはありませんでした。
これらの兵士のように、私たちも、自分たちの考えを守り、神が与えている土台の上に立って、生き生活していることを確信しなくてはなりません。私たちの地域が孤立したとしても、私たちの暮らしが世界的出来事のために経済的に脅かされたとしても、こうすることによって私たちは守られるのです。
キリスト教科学を創始したメリー・ベーカー・エディは、ある支教会に宛てた手紙に、「絶えず努力して、目覚めていなさい;霊的な監視と自らを省みることを決して怠ってはならない。…」と書きました。こうすることによって、私たちは確かに守られます。そして、これに従って行動するにつれて、私たちの地域、世界、そして私たち自身が守られ、そして恵みを得ることを理解するようになります。