つい最近私は、『キリスト教科学クオータリー』という冊子にそって、「生命」について、キリスト教科学の聖書教課を読んでいました。キリスト教科学において、「生命」とは、神のことを意味しています。その聖書教課を読んでいると、ある表現が頭に思いつきました。それは「独立した健康(ヘルス)」という言葉でした。私はクスッと微笑んでいました、というのは、英語でよく耳にするフレーズで、「独立した財産(ウェルス)」という韻をふんだような言葉を思い出したからです。「独立した財産(ウェルス)」とは、つまり、巨大な資産を持ち、何でもやりたいことを好きなようにやれるだけの財産を持っている人々を指します。そのような人たちは、経済状況や仕事面に影響されたり、頼る必要がありません。必要な資源を十分に持っているので、心配なく、完全に独立して生活出来るのです。
この「独立した健康」という表現にインスピレーションを感じた理由は、メリー・ベーカー・エディが書いた『科学と健康-付聖書の鍵』にある次の文章を知っていたからです。「生命は現在も、これまでも常に、またこれからも永久に、物質から独立したものである;それは生命が神であり、人は神の理念であって物質的ではなく、霊的に形造られており、衰えたり、塵になったりするものではないからである」(p.200:10)。
私たちが自分たちの健康を考える時、健康とは肉体や、環境的・遺伝的要因といった、様々な要因に依存するものと考えがちです。しかし、キリスト・イエスが証明したのは、私たちの健康においても、実は、神・霊に頼ることが出来、健康とは100パーセント霊的であるということでした。神は無限の善・無限の霊であり、健康は神を真に理解することによって経験されるということです。そして、キリスト・イエスは単に教えを説いただけではなく、実際の癒しを通して健康を証明したのです。
その週の聖書教課に含まれていた聖書からの引用に、12年もの間、長血(ながち)を患った女性が、イエスに、即座に癒された話がありました。またある少女が、キリストによって死の床からよみがえった話もありました。イエスは、神が生命そのものであり、その結果、生命は完全に守られ、安全であるという揺るぎ無い確信を証明したのです。
ですから、先に述べた文章を、次のように読み替えることも出来ます:「『健康』は現在も、これまでも常に、またこれからも永久に、物質から独立したものである…」 。それが意味するところは、私たち自身も、創造主である神から霊的に賜った健康を、証明できるということです。そうです、私たち一人一人が、実は「完全に独立した健康」を、本来与えられているのです。