しばらく前になるが、皮膚の一部が異常な状態になっていることに気づいた。何年かすると、それが大きな腫れ物(腫瘍)となり、怖くなった。私は、祈らねばならないことが分かり、多少祈っていたが、それは次第に大きくなり、不快なものになっていった。
メリー・ベーカー・エディは『科学と健康―付聖書の鍵』の中で、「わたしたちにとって最も必要なことは、慈しみを増したいと熱望する祈りであって、忍耐・温順・愛・善行となって表われてくるものでる」(p.4)、と述べている。深い意味で、私の祈りは霊的に成長するためのものであり、霊的展開が唯一の真の成長であること、そして、神への従順によって霊的成長が証明されることを、私は知っていた。(英語の「成長」、 “growth” という言葉には、腫れ物、腫瘍という意味もある。)私は、日々、自分自身のなかで、また自分の周りにおいて、起こっている唯一の成長は、私の慈しみが増すことによって表されること ― そして、それが「忍耐・温順・愛・善行となって表われてくる」ことを、宣言していた。私は、これらの純粋なキリスト的な性質のみを表すように励み、他の人々について、またあらゆる状況において、これらの性質のみを見ることを心に誓っていた。
この努力は、私が、既に、キリスト教科学の門下生年会の宿題として学び始めていることに、見事に呼応していた。私たちは、日々、愛に生きることを求められていた、そして、毎朝、何か愛を生きることに関する聖書の言葉、あるいは、エディ夫人の著作の中から一文を選んで、自分の考えに注ぎ込むことを、求められていた。そして、夜、自分が、その日、神の愛をどのように感じ、表現したかについて、日誌を付けることを求められていた。その目的は、神を真に愛として理解し、私たち自身が愛の霊的表現であることを知ることであった。
この祈りの仕事はすでに始っていて、私は、この勉強が培っている霊的成長は、癒しをもたらすに違いないと確信していた。物質の状態を見てみたいという誘惑にかられたが、それを行なうことは、自分の霊的存在の真理から自分を反らすことになることを知っていた。努力を続けていくうちに、私の好奇心と恐怖心は、完全に蒸発してしまい、それに代わって、私は霊的である、という確信が大きく育っていた。
それから何ヶ月か祈っていたが、体の状態に目をやることはなかった、またそれについて考えることもなかった。そして、今からほぼ1年前のある日、「取り除きなさい」、という考えが示された。私は、これは神からのメッセージであると感じて、腫れ物をそっと取り除いた。それは滑るようにはがれ、その下に新しい美しい皮膚があった。私は、感謝のあまり、泣いた、そして、ほとんど一晩中起きていて、神に感謝した。私は、神の手の中にあったこと、また、どんな事態にあっても、神は決して私を見捨てないことを知って、感謝に溢れていた。
私は、神にはすべてが可能であり、神は私を保護されることを知って、今もなお、引きつづき、私の霊的成長をすべてに優先させることを心に決めている。神は、私が知るより先に、私に何が必要であるかご存知である、そして、神は、現れる私の必要を一つ一つ満たしてくださることを、感謝を込めて信頼している。私はまた、門下生年会の宿題にも感謝している、毎年の宿題は、私たち自身、また世界のために、癒しの結果をもたらすため、私たちが霊的に成長するよう勇気づけてくれる。
米国、テキサス州、ウッドランド
ジル・スタッカー
Jill Stucker