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不治とされた診断が覆され、人格も変えられました

『キリスト教科学さきがけ』2026年09月26日号より


不治とされた診断が覆され、人格も変えられました

私は日本でクリスチャン・サイエンス (キリスト教科学) を学び始めた者です。キリスト教科学の実践士の助けを通して、私が生まれる約100年前にメリー・ベーカー・エディによって著されたクリスチャン・サイエンスの教科書『科学と健康付聖書の鍵』にであいました。その経験を証しとして分かち合いたいと思います。

2013年、腹部に異変を感じて病院を受診しました。そこで、不治の病とされる悪性リンパ腫と診断され、「余命は5年」と告げられました。医師は深刻な状態であることを心配し、すぐに入院して手術を受けるよう強く勧めました。しかし、その緊急性を説明されても、私はその勧めを受け入れることができませんでした。この診断は、私にとって大きな衝撃でした。

幸いにも、その頃には東京のクリスチャン・サイエンス読書室の司書の方から『科学と健康』を送っていただいており、読み始めていました。また、キリスト教科学の実践士とも連絡を取り合い、メールのたびに「神は愛です」という言葉を繰り返し伝えてくださいました。その言葉は、いつしか私自身に対する見方を少しずつ変えていったのだと思います。

長い沈黙の末、私は医師に、入院も手術も受けないと伝えました。その代わりに、すべてから離れ、四国・香川県にある小さな町で3か月間過ごす時間をいただきたいとお願いしました。

ご想像いただけると思いますが、医師も家族も、この考えには反対しました。しかし私は、その診断も、提案された手術や薬による治療も、受け入れることができませんでした。「どうして医師に、私があと5年しか生きられないと分かるのだろう?」そう思わずにはいられませんでした。

数日後、私は四国へ向けて家を出ました。その町には知り合いが一人もいませんでしたが、なぜかどうしてもそこへ行きたいという思いがありました。衣類や生活用品のほかに持って行ったものは、聖書と『科学と健康付聖書の鍵』だけでした。無事に家へ帰って来られる保証はないと思っていたので、四国行きの切符は片道だけ購入しました。

最初の1か月は旅館に滞在し、『科学と健康』をゆっくりと読み進めました。序文にある、「物質的な支えがすべて失敗に終わるまでは、ほとんどの病人は神に心をむけない、なぜなら、神に病を癒す意志と力があるという信仰心があまりにも少ないからである。」(xページ)という一節を読んだとき、「まさに自分のことだ」と感じました。

『科学と健康』を読み進めるうちに、自分には何の力もなく、ただ神に頼るほかないことを悟りました。その間も、私のために祈っていた真に思いやり深く親切な実践士とメールで連絡を取り続けていました。

2か月目になると、ようやく部屋の外へ出てみようという気持ちになり、早朝に川沿いを散歩するようになりました。それまでの私は、山や川、空をゆっくり眺めることさえできませんでした。しかしその頃には、自然の中で朝日を見つめているだけで、まるで子供のように心が喜びに満たされました。私はたくさんの写真を撮りましたが、現像してみると、その写真には言葉では言い表せない美しさが写っていました。

『科学と健康』を4回目に読み始めた頃、不思議な感覚が芽生えました。「もしかしたら、自分は初めから病気ではなく、あれは一時的な幻想にすぎなかったのではないだろうか」と思うようになったのです。

3か月が終わる頃には、以前と同じように食事ができるようになり、心身ともにすっかり正常な状態に戻っていました。見た目にも病人とは思えないほどでした。それでも家族は心配していましたので、そろそろ家へ帰り、もう一度検査を受けようと思いました。

帰宅後、病院で再び検査を受けました。数日後、検査結果を聞いたとき、香川県で過ごした3か月が、私にとってどれほど必要で、どれほど大きな意味を持っていたかをはっきりと知りました。最初の「悪性リンパ腫で余命5年」という診断は、完全に覆されたのです。今回はさらに高度で詳しい検査が行われ、その結果、「異常はありません」と告げられました。

ここで、新約聖書の次の御言葉を紹介したいと思います。

「. . . 主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」とあるからである。しかし、信じたことのない者を、どうして呼び求めることがあろうか。また、聞いたことのない者を、どうして信じることがあろうか。宣べ伝える者がいなくては、どうして聞くことがあろうか。」(ローマ人への手紙10章13、14節)

幸いなことに、クリスチャン・サイエンスには、世界中にすばらしい実践士、教師、そして共に学ぶ仲間がいます。また、誰もが読んで学ぶことのできる教科書も備えられています。

私は病気がなくなったことだけを喜んでいるのではありません。私自身の人格も変えられました。3か月間家を離れたことで、家族には大変な心配と迷惑をかけました。当時の私は自己中心的で高慢でした。そして、そのような性質が病気を招いたのではないかと思うようになりました。

それでも、聖書が教えているように、神は何よりも私たちの身近におられ、私たちを支え、生かしてくださるお方です。以前の私なら口にすることのなかった、謝罪と感謝の言葉を、妻にも素直に伝えることができるようになりました。

今振り返ると、私は確信をもってこう言えます。どうか聖書と『科学と健康付聖書の鍵』をお読みください。そして、クリスチャン・サイエンスの日曜礼拝や水曜証しの会にぜひ足を運び、実践士や教師とも交流してみてください。

そうすることで、皆さまはきっと、ご自身の内にある、かけがえのないものを見いだしていかれることでしょう。

最後に、忍耐強く導き、祈り続けてくださった実践士、そして神に心から感謝いたします。私は2021年に母教会の会員となりました。支えてくださったすべての方々に、深く感謝しています。

三上ひさき

静岡県富士市

『さきがけ』の使命

1903年に、メリー・ベーカー・エディは、『キリスト教科学さきがけ』を創刊しました。その目的は、「真理の普遍的活動と有用性を宣言する」ことでした。ある辞書によると、『さきがけ』定義は「先発の使者」(先触れ、先駆け)ー 後に起こる事が近づいていることを告げるために先立って送られる者、使者」であり、『さきがけ』という名称に重要な意味を与えています。さらにまた、この定義は、私たちの義務を指し示しています。それは私たち一人一人に課せられた義務であって、私たちには、私たちの『さきがけ』がその責務を十分に果たしているか見届ける義務があるのです。この責務はキリストと不可分であって、まず初めに、イエスが、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」(マルコ 16:15)と述べて、表明したものでした。

Mary Sands Lee (メリー・サンズ・リー)、Christian Science Sentinel, 1956年 7月 7日

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