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『キリスト教科学さきがけ』掲載記事より

無限の生命についてもっと知りたい

キリスト教科学さきがけ』2026年01月 7日号より

 メリー・ベーカー・エディの言葉をこれまでとはまったく新しい角度で理解し共感できた


思春期の初期に「死」というものに強い興味を抱くようになった私の関心は、高校生になる頃には、その関心は「とは何か」を知りたいという願いへと変わっていました。そして、何人かのキリスト教科学を学んでいた数人の友人を通じて、とは無限の生命であることを知ったのです。

当初、私キリスト教科学へと引き付けられた理由は、友人たちの生き方でした。彼らは、反対意見や敵意に満ちた状況や困難そうな出来事に遭遇しても、落ち着いて、親切で、思慮深く前向きな態度をもって接っしているように、私には見えました。やがて私にも形而上学的な癒しについて多くを話し共有してくれるようになりました。私は導かれるように、キリスト教科学を学び始めたのです。この導きに、私は今でも深く感謝しています。

キリスト教科学の創始者であるメリー・ベーカー・エディは、『科学と健康付聖書の鍵』の中で、キリスト・イエスの復活は、人々を「無限の可能性を知覚させる助けとなった」と述べています(34ページ)。私は、これらの可能性は、を無限の心、霊、魂神性原理生命、真理、愛として、より深く理解することから生まれるのだと考えるようになりました。また、人生における私たちの成長は、の全能性について問い続け、学んだことに従って生きようと努めるところから来るのだと理解しました。『科学と健康』は、「を理解することは永遠の仕事であって、考えとエネルギーと願いを絶対的にささげる献身を要求される」とも述べています(3ページ)。 

ー キリスト教科学に対して抱いていた好奇心と熱意を初心に戻って再び持ちたい 

数年前、私はキリスト教科学に対して抱いていた好奇心と熱意を初心に戻って再び持ちたいと願い、キリスト教科学の教科書である『科学と健康付聖書の鍵』を徹底的に学び直そうと決めました。そのとき心に浮かんだのは、「無限」という言葉に焦点を当てることでした。

私は、これまで何度も読み返してきたこの本を、ただ再読するのではなく、ペンと紙を使って一語一語書き写すことにしました。この作業は、非常に奥深い、私自身に意味のある体験となりました。私は、エディ夫人の言葉を、これまでとはまったく異なる新しい見方で捉え、その言葉とのつながりを実感できました。また、時には滑稽にも思えました。というのも、これまでの読書では、意味の異なる似た言葉を、無意識のうちに省いたり、置き換えたりしていたことに気づいたからです。実際の言葉を書き写すことで、霊的真理を新たな角度から見ることができました。

そのきっかけの突破口となったのは、「無限」を理解しようと思っていた時、インターネットで耳にした話でした。話し手は、100万と10億の違いを、時間に置き換えて説明していました。100万秒は約11日半、10億秒は約31年半に相当することを知りました(ちなみに、1兆秒は3万1500年以上になります)。

100万秒と10億秒の隔たりの大きさに驚いたとき自分に聞きました、「それなら無限の心であると、有限な物質的脳に知性があるという誤った信念との間には、どれほどの隔たりがあるのだろうか」と。

この気づきを妻に伝えた時、私は「もし10億まで数えようとしたら、32年近くかかるだろう」と付け加えました。すると妻は次のように答えました。「でも、10億という概念を思いえがくのに必要な時間は一瞬でしょ?」と。彼女が言いたかったのは、数を数えなくても、10億という完全な概念は、すでに考えの中に存在しているということです。

このやり取りは、私に懐かしい記憶を呼び起こしました。それは、私がキリスト教科学の実践によって初めて体験した癒し、アレルギーの治癒でした。その癒しは、『科学と健康』を読んでいて、次の一節に出会った瞬間に起こりました。

生命と知性が純粋に霊的であることを、― 物質の中にあるのでもなく、物質からできたものでもないことを、―一瞬間でも意識しなさい、すると体は何の苦情も訴えなくなる。もし病だと信じて、苦しんでいたにしても、自分が突然回復していることに気づく。体が霊的生命・真理・愛に支配されるとき、悲しみは喜びに変わる。」(『科学と健康』14ページ)

が唯一の生命であり、唯一の知性であると理解したその一瞬、私はアレルギーから完全に解放されました。

数日後、私は、妻と私のお気に入りのイタリア料理を作っていました。そのレシピは、高温に熱したオリーブオイルに材料を加える必要があるものでした。私はこれまでに何度もこの料理を作っていましたが、その日は、油はね防止の網を外してトマトを加えた瞬間、鍋の中身が爆発し、熱い油とトマトが顔に飛び散ったのです。 

正直に言うと、私の最初の反応は― 恥ずかしいことに―思わず悪態をついてしまいました。しかし、その直後に、次の『科学と健康』の二つの箇所を思い出しました。

わたしの説明を時々聞いていた小さな女の子が、指にひどいけがをしたことがあった。彼女は一向にそれに気づかないようであった。それについて尋ねられたとき、『物質には感覚はないのよ』と無邪気に答えた。にこにこ笑って勢よく飛んでゆきながら、『お母さん、指はちっともいたくないの』と彼女は付け加えて言った。
(237ページ)

そして、もう一つは、

あなたは、何が自分を痛めたかを思い起こそうとして、脳に相談してみるが、実は、そんなことはすべて忘れてしまうことこそ、治療法となるのである;なぜなら、物質自体には感覚はなく、人の心のみが苦痛を生み出しているからである。」
(165–166ページ)

最初の一節は、その週の『キリスト教科学 聖書教課』に含まれていたため思い出すことができ、後者は私がちょうど書き写していた箇所でした。どちらも、言葉を思い出すというよりも、感覚として、言葉では説明できない一瞬のうちに心に届きました。

自分が悪態をついたことにを笑い、私は痛みを感じることなく顔についたトマトと油を拭き取り、料理を続けました。私は食事の盛り付けをし、妻と共に夕食を楽しみ、その後2人で映画を観ました。映画を見ているとき、「癒しは完全ではなく、後でひどい影響が出るかもしれない」という心のささやきを聞きましたが、この考えをうち消すのに、次の『科学と健康』の言葉を思い出しました。

事故は、すなわち不滅の心にとっては存在しません。私たちは、死すべき信念の基盤を離れ、一つのと結びつくことで、偶然という考えをの誤りなき導きという正しい理解へと変え、調和をもたらさなければなりません。」(424ページ) 

ー 神をただ一つの知性として理解したその一瞬で、私は癒された 

それは、以外には存在しないため、事故が起こる時間も場所も、そもそも存在しなかった、という意味でした。自分は物質でできているという考えを自分が持っているという信念に関わるのをやめ、父・母なるである神性なが、完全に善であり、今ここにおいて、永遠に遍在し、全知全能であるという永遠の事実に意識を向けました。その結果、私は恐れから解放され、油をかぶったことによる悪影響は一切ありませんでした。

私は当初、この体験を分かち合うことに少し躊躇していました。というのも、私はまだ『科学と健康』を書き写し終えておらず、「無限」についての学びも終わっていないからです。でも、「あなたはいま、無限について学んでいるんでしょ。それって、いつ終わるの?」そう考えたとき、このためらいは愚かなものに思えました。「分かち合うなら今でしょ!」

『さきがけ』の使命

1903年に、メリー・ベーカー・エディは、『キリスト教科学さきがけ』を創刊しました。その目的は、「真理の普遍的活動と有用性を宣言する」ことでした。ある辞書によると、『さきがけ』定義は「先発の使者」(先触れ、先駆け)ー 後に起こる事が近づいていることを告げるために先立って送られる者、使者」であり、『さきがけ』という名称に重要な意味を与えています。さらにまた、この定義は、私たちの義務を指し示しています。それは私たち一人一人に課せられた義務であって、私たちには、私たちの『さきがけ』がその責務を十分に果たしているか見届ける義務があるのです。この責務はキリストと不可分であって、まず初めに、イエスが、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」(マルコ 16:15)と述べて、表明したものでした。

Mary Sands Lee (メリー・サンズ・リー)、Christian Science Sentinel, 1956年 7月 7日

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