神は、私たちの父でもあり母でもあり、私たちの子供たちの父と母であり、そして孫たちの父と母でもあります。私は、それが真実であることをいつも理解していました。それでも、自分に子どもができる前から、母親になるということに憧れていました。そこで、「もし神が唯一の父であり母であるなら、私の役目とはいったい何なのか。親とは、たんに神の代役のなのか」と思っていました。
もちろん、子育てには親なら誰もが知るように、惜しみない愛と献身が伴います。では、私たちがどのようにして愛情深く関わる親でいながら、同時に神をすべての人の『父と母』として心から喜んで受け入れることができるのでしょうか。これは、一生を通して学ぶべく課題であり、またそれを理解するのは容易なことではありません。
最近、祈りをとおして、私たちの父と母である神をより明確に理解したいと願い、静かに耳を傾けました。すると、「主の祈り」の中に深い導きを見いだしました。この祈りの始まりは、「天にいますわれらの父よ。あなたの名があがめられますように」(マタイ6章9節)ですが、メリー・ベーカーの書いた「科学と健康付聖書の鍵」の中で、次のように霊的に解釈をされています、「わたしたちの父母神、全き調和」(16ページ)。
今回はこれを私が理解しなければと祈るのではなく、むしろ親としてなんとかしようとする自分の役割を放棄し、素晴らしく、栄光に満ちた、愛に溢れる父母神に養い、守られている喜びに身を委ねることにしました。私たちの神性なる父母は、いつ、いかなる時も絶えずその務めを果たしています。その力と愛は、私の努力がどれほど誠実であったとしても、それをはるかに超えています。神こそが本当にすべてを導いておられる唯一の存在なのです。すべてを神にゆだねることができたなら、我が家も、そしてすべての人々も、どれほど深い平安に包まれることでしょう。
当然のことながら、祈りを通して、私の考えは大きく霊的に高められました。その中には、子育てについての大きな安堵感もありました。そして、親としての自然に果たすべき責任を果たしながらも、多くの心配を手放すことができたのです。祈りとは、私たち全員を完全に見守ってくださる唯一の父母神が存在するという尊い真理に、自らを委ねることなのだと気づきました。
私は今も、このことをさらに深く理解できるように祈り続けています。最近体験したこの考えの転換は、私にかなりのインパクトを与え、大きな助けとなっています。そして私は今も、この気づきによって日々祝福されています。父であり母である神さま、ありがとうございます。心から感謝しています。
