Skip to main content Skip to search Skip to header Skip to footer

妊娠中の癒しの祈り

キリスト教科学さきがけ』2014年10月15日号より

The Herald of Christian Science (『キリスト教科学さきがけ』独,仏、スペイン、ポルトガル語) 2013年4月号より転載

Christian Science Sentinel (クリスチャン サイエンス センチネル) 2013年8月12日)号より転載


私がキリスト教科学と出会ったのは、最初の子供を妊娠して3ヶ月目のときでした。婦人科に検診に行った際、医師は主人と私に、子どもは身体に障害をもって生まれてくるだろうと告げました。医師は、妊娠5ヶ月までは中絶が合法なので、中絶することもできると言いました。

これは、私たちにとって大変なショックでした。医師は、私たちが2人でよく話し合って、もし望むなら、中絶の同意書に署名することができるように、席をはずしてくれました。夫は、はっきりした考えで、「フローア、この子は、の霊的理念なのだ、この子は、の子なのだから完璧なのだ」、と言いました。私も中絶はしたくない、と彼に告げると、彼は、「キリスト教科学の教会に行こう、真実が分かるよ」と、確信を持って言ってくれました。夫は、子どものときからキリスト教科学を勉強していたのです。

私たちは、キリスト教科学の教会へ行きました。教会の中へ入ったとき、壁に書かれている言葉を読んで感動しました。「神性のは、人のあらゆる必要を常に満たしてきた、そしてこれからも常に満たす」と書かれていて、その下に「メリー・ベーカー・エディ」(『科学と健康—付聖書の鍵』、p.494)と記されていました。別の壁には、「あなたがたは、真理を知るであろう。そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう」、そして、その下に「キリスト・イエス」、(ヨハネ 8:32)と記されていました。

私は、そこで、英語を話すキリスト教科学の実践士に会いました。私は英語があまりよくできなかったのですが、互いに理解することができ、私が妊娠しているあいだ、祈りによる治療をしていただくことになりました。彼女はまた、聖書と『科学と健康』の中から幾つかの抜粋を示して、読むようにと勧めてくれました。

家に戻るとすぐ、私は勉強に取りかかりました。について、また、自分ととの関係について、今まで自分が慣れ親しんできたものとは違う方法で知るようになりました。とても幸せに感じ、また自分が愛されていることを感じました。それは、聖書と『科学と健康』を通して、愛あふれるについて、知らされていたからです。私は、考え方を変え始めました。恐れと悩ましい考えが消えてゆきました。私は、目を覚まされた思いでした。

私は、実践士から聖書の詩篇の中の次の言葉について考えるようにと言われました:「はわたしの受くべき分です。. . .あなたのみ手はわたしを作り、わたしを形作りました」(119:57,73)。  この勉強によって、エディ夫人が著書の中で説明しているように、私たちは霊的理念であること、また、が唯一のであることを理解するよう助けられました。は、無限で至上であり、どこにでも存在し、「すべてにおけるすべて」であり、の深い愛で私たちを包んでいるのです。この勉強によって、私はまったく新しい方法でを知るようになりました。

私は、これらの本の勉強を続け、は、善であり、すべての存在の源であるから、身体的にも、道徳的にも、奇形を作り出すことなどできないことを、知りました。そしてまた、私たちは、物質の法則を恐れる必要がないこと、だけに心を集中していればよいことを知りました、なぜなら、が、私たちの生命であり、存在であり、私たちのどんな人間的な問題にも光をあてて解決してくれる、すべての光の尽きることのない源泉だからです。「. . .は、無限で、すべての力、すべての生命真理であり、すべてをおおい、すべてでありますから」(『科学と健康』、p.17)。 

妊娠は正常な経過をたどり、私は、その後、出産のときまで医者に行きませんでした。病院の人たちは、生まれてくる子どもの身体には異常があるにちがいないと思っていました。しかし、息子が生まれたとき、大きくて、かわいらしく、そして完全な赤ちゃんであったため、彼らは非情に驚きました。医師たちは、子どもが全く健康であるとは信じられず、綿密な検査をしました。診断されていた症状は、一つも現れてこなかったのです。その日、夫と私は、嬉しさで涙が止まりませんでした。

今日、この息子は、頑強な若者となり、大学を卒業しようとしています。

私は、はいつも私たちと共にあり、私たちはと一つであることに目覚めさせてくれたキリスト教科学に、深く感謝しています。師キリスト・イエスは言われました:「私とは一つである」(ヨハネ10:30)。

スペイン、バルセロナ

フローア・デ・マリア・ウエゾ

『さきがけ』の使命

1903年に、メリー・ベーカー・エディは、『キリスト教科学さきがけ』を創刊しました。その目的は、「真理の普遍的活動と有用性を宣言する」ことでした。ある辞書によると、『さきがけ』定義は「先発の使者」(先触れ、先駆け)ー 後に起こる事が近づいていることを告げるために先立って送られる者、使者」であり、『さきがけ』という名称に重要な意味を与えています。さらにまた、この定義は、私たちの義務を指し示しています。それは私たち一人一人に課せられた義務であって、私たちには、私たちの『さきがけ』がその責務を十分に果たしているか見届ける義務があるのです。この責務はキリストと不可分であって、まず初めに、イエスが、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」(マルコ 16:15)と述べて、表明したものでした。

Mary Sands Lee (メリー・サンズ・リー)、Christian Science Sentinel, 1956年 7月 7日

『さきがけ』について、その使命について、もっと知る