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確信をもって、キリスト教科学を実践する

『キリスト教科学さきがけ』2019年08月21日号より

The Christian Science Journal, 2017年10月号


早朝の4時半、電話が鳴った。パニック状態の一人の母親からだった。町の反対側に住む彼女の娘さんが、睡眠薬のビンを片手に、台所の流しの前に立って、母親に永遠の別れを告げる電話をかけてきたのだと言う。 

母親は、私に祈ってもらえるかと聞いた。(私はキリスト教科学による癒しの実践の仕事を始めたばかりだった、そしてこの母親は、この問題に対処するために、キリスト教科学の治療を選んだのだった。) 私は祈りましょう、と約束して、電話を切った。

ところが次の瞬間、私は激しい恐怖のようなものに襲われた。というのも、思わぬ時間に起こされて、ボーッとしていて、私は彼女の名前も、電話番号も聞いていなかったのである。「もしも、私の祈りが効果をもたらさなかったら、どうしよう? もしも、彼女の娘さんが、計画を実行してしまったら、どうしよう?」 この、「もしも . . . したら、どうしよう?」という考えが、私を責め続けた。当時は、発信者番号の通知サービスもなく、私から彼女に電話をかけるすべは全くなかった。私は途方に暮れていた。そして、おびえていた。

さま、あなたが、今、必要なのです、お願いします」。これが、私の最初の祈りだった。そして、確かに、は、そこにいてくださった。恐怖心が完全に消えるまでには4時間ほどかかったが、この真剣な祈りの間に学んだことが、それ以来、何十年にもわたる、私のキリスト教科学の実践士としての仕事において、大きな力となっている。

まず、第一に、神性のは、流しの前に立つその女性が、の心から愛するの娘であり、は彼女を安全に守っていることを、私に確信させてくれた。彼女について、私が責任を負うのではなく、が責任を負うのである。私はほっとして、息をついた。次の聖書の言葉、慰めに満ちた約束 ― 「(あなたがたは)真理を知るであろう。そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう」 (ヨハネ8:32) ー が、とても助けになった。私たちを自由にするのは、私たちが真理を知っているということではなく、私たちが知る真理が、実際に癒しを行なうのである ― についての、またの完全で霊的な創造である人についての真理が、癒すのであるということを、この言葉ははっきりと示してくれている。 

神性のの明確な導きのもとに、私は落ち着きを取り戻した。私の祈りの仕事は、「真理を知る」ことであった。そして、私に示された霊的事実、つまり真理は、が遍在する、ということであった。これは、生命、神の別名、はどこにおいても、唯一の現存であるということである。生命は、無限を満たし、永遠を満たしている。誰も、この無限の生命から抜け出すことはできない、なぜなら、聖書によると、「われわれはのうちに生き、動き、存在しているからである。あなたがたのある詩人たちも言ったように、『われわれも、確かにその子孫である』」 (使徒行伝17:28)。 次の讃美歌の慰めに満ちた言葉が、この点を更に力強く示している:「誰も、の遍在を超えて、さまよい出ることはできない」 (バイオレット・ヘイ、『キリスト教科学讃美歌抄』 66番、キリスト教科学出版協会が著作権所有)。 

すべては大丈夫なのだという確信に至るまで、真理の言葉が次々と私の意識に示されてきた。私の恐怖心が、自身が創造したものを、本当に責任をもって守る、という確信に取って代わるまで、私が捧げた祈りの時間は、以来、私にとって、キリスト教科学の実践士が助けを求められたときに、行なうことの目印となり、また、手本となっている。

あのとき、私は、問題を抱えている人のために祈るより先に、まず自分の恐怖心を解消しなければならなかった。そして、それができると、安心感を与えてくれる真理の言葉が、私の意識に次々と流れてきた、そして、この流れは、問題は疑いの余地なく解決したことが自分に実感できるまで続いた。そして、それが実感できたとき、この祈りの仕事は果たされたことを知ったのである。ところで、その1日が過ぎても、あの母親からは、なんの連絡もなかった。私は、この問題が考えに浮かぶたびに、から直接にもたらされたこの祈りは有効であることを、確認していた。ようやく5日後になって、母親が伝えてきたところによると、助けを求めた電話の10分後に、娘は睡眠薬のビンを捨て去り、ベッドに戻ったということだった。実は、状況があまりにも完璧に癒されたため、母親はその後5日間そのことについて考えることすら全くなかったのだった。 

キリスト教科学の癒しの実践に私が携わってきた長い日々のあいだには、他にも、事態に対処するために、私のの理解は十分なのだろうかと心配になったことが幾度もあった。そのような事態に直面したとき、祈りによる治療を前進させるために必要な確信を私に与えてくれた考えを、次に、いくつか挙げてみよう。

キリスト教科学の実践とは、正確にいうとどういうものなのか、それを改めて定義してみることにより、事態が明確にされる。私にとって、キリスト教科学の実践とは、が知り行なうことを、目撃することを求められるという特権なのであり、そしてその過程において、の癒しの力が、私たちの人生、また日々の生活のなかで、明確に示されることである。

では、どうすれば、それが可能になるのだろうか。まず第一に、メリー・ベーカー・エディが、彼女の主著、これは聖書と共に、キリスト教科学の癒しの実践に使われる教科書であるが、その中で示されている、重要な指導に従うことである。彼女は次のように書いている:「つねに、患者の恐怖心を静めることから、治療を始めなさい」 (『科学と健康―付聖書の鍵』p.411)。当然ながら、実践士は、患者の恐怖心を十分に取り除くことができる前に、自分自身の恐怖心から解放されていなければならないのである。

私は、恐怖心に対処するためのひとつの方法として、次のように問いかけてみることが有効であることに気づいた。「さま、あなたはそこにおられます。あなたには、何が見えますか」。この質問に対する答えは、から直接に来るものであり、何か良くないものを信じる信念を放棄するために、完璧な地点へ、思考を導いてくれる。このトップダウン、上から下への (の霊感を受けた) 視点は、反対のボトムアップ、下から上への(肉体的感覚)の方法に反して、無限性の輝きに満ちた視点、つまり神格が私たちの意識を満たし、光り輝く実在の視点に、導いてくれる。そして、私たちは、善がすべてに満ちて、遍在することを実感するのである。そこでは、完全でないものは、すべて排除される。これが起こるとき、恐怖心はその足場を失うのである。

癒しの師であるキリスト・イエスは、弟子たちに、「がわたしのうちにおられて、みわざをなさっているのである」 (ヨハネ14:10) と告げているが、この言葉は、私たちに実践を成功させるための洞察を与えてくれる。私たちもまた、神、すなわち、この常に働く善の力が、唯一至上の目的であり、どこにあっても、いつでも、すべてに調和をもたらしていることを、信頼することを学ぶことができる。そして、これこそ、私たちが祈りの中で認識することなのである。この実感が、私たちが真に実在することを知る善に、事態を従わせるのである。

キリスト教科学の実践士は、聖書の中のイエスの言葉、「わたしをつかわされたが引きよせて下さらなければ、だれもわたしに来ることはできない」(ヨハネ6:44)に、元気づけられている。私たちは、が、私たちの実践に関するすべてを統治していることを、信頼している、ー つまり、が、実践士、患者、癒しの真理の、すべてを統治しているのである。結局のところ、すべての真のコミュニケーションと意識は、の中にのみ存在するのである。 

実践士にとって助けとなる、もう一つの約束が、師イエスのもう一つの言葉に示されている:「ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである」(マタイ18:20)。これは、実践士が患者と接触するとき、その一つ一つの場に、キリストが彼らとともに現存することを約束している。そして、キリストの現存が認識されるとき、癒しが起こるのである。

キリスト教科学の実践において、考えを、謙虚に、そして受け入れる心をもって、に向けるとき、日々、霊感がもたらされる。私たちが、神性のと、敬虔な心をもって交わるとき、必要とする真理を見いだし、神格の力を感じとり、を、もっともっと信頼することを学ぶのである。 

私にとって、癒しの実践において成功を確信するための肝心な点は、たとえどんなことについて助けを求められたとしても、また、誰が電話をしてきたとしても、がいつも正にそこにいてくださり、であることのすべてをもって、そこに存在していること、つまり、唯一であり、全てであり、愛に満ちた現存であり、力であることを、知っていることである。実に、全て以上には何も存在しないのである! これを理解し、信頼するとき、その結果として、癒しが起こるのである。

正しく祈るためには、わたしたちは部屋に入り、

戸を閉じなければならない。

わたしたちは口びるをむすび、

物質的感覚を沈黙させなければならない。

真剣な願いを捧げる静かな聖所にあって、わたしたちは罪を否定し、

がすべてであることを抗弁しなければならない。

 

メリー・ベーカー・エディ

科学と健康―付聖書の鍵』 p.15

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Mary Sands Lee, Christian Science Sentinel, July 7, 1956

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