問:私には、神がとても遠く離れているように感じられるのです。どのように神を理解して知るなら、神を身近に感じることができるでしょうか。
答:実は、私もかつて、神の存在をもっと身近に、そしてより暖かく感じたいと願っていました。確かに、私は、キリスト教科学を勉強して、神のさまざまの名前を学んでいました: それらは、生命、真理、愛、心、魂、霊、原理です。そして、私はこれらの名前によって神のことを考えることがとても好きでした。でも、私は何かそれ以上のものを切望していました。私は、それまで神を個人的に、身近に感じる体験をしたことがありませんでした。私は、うわべだけの空想のようなものではなく、また、神をただ信じるだけでもない、もっと具体的なものを求めていたのです。
そんなとき、ある友人が、神は彼女の最高の友だと言ったのです。彼女は、神がいつも自分と一緒にいることをはっきりと感じていると言いました、車に乗っているときも、八百屋にいるときも一緒なのだ、と言いました。彼女の言っていることは、まさに私が求めていたものでした。
そこで、私は祈り始めました。それから毎日、2週間ほど、このすばらしい、すべてを愛する神が今ここに存在する、私と一緒にいるとは、どういうことなのか示してくださいと、神に願っていました、というよりも、そう懇願していました。私は神についての理詰めの知識以上のものを求めていたのです。私は、心から、本当に神を知りたいと思っていました。
すると、思いがけないことが起こったのです。私の祈りは、びっくりするような、全く予期しない方法で答えられたのです。ある日、私は1600キロほど離れた所に住んでいる人のために祈っていました。私は彼のことが心配で、もっと近くにいることができたらいいのに、と思っていました。そうしている時、突然、神が私に話しかけているのを聞いたのです。はっきりとした声で、次のように話すのを聞いたのです:「彼(つまり私の友人)は、私の子です。私が、彼をしっかりと守っています」。その瞬間、神は、私たちを愛し守ってくださっているということが、私にとてもはっきりと手に取るように感じられ、涙があふれて頬をつたって流れました。
この瞬間が、まさに私の人生における転換点でした。私は神を実際に体験するという仕方で「手に入れた」のです。これは、私がそれまで知っていたものとは全く違うものでした。私がそれまで神について知っていたことはみな重要でしたが、今や、私は、心に深く感動して、神を感じていたのです。
神を体験するということについて、いくつか重要なことがあります。そのためにどうしても欠かせないものは、多分、神を知りたいという願いでしょう。それは、私たちの心の奥深くで、神の存在を感じたいと心から強く望むことだと思います。『科学と健康-付聖書の鍵』の中で、メリー·ベーカー·エディは、「願いが祈りである. . .」(p.1)と述べています。私の経験は、神を体験したい、神を深く知りたいという心からの願いは答えられる、ということを示してくれました、ー しかも、それは、私たち一人一人にとって、非常に個人的で、すばらしい方法で示されるのです。
あの時以来、私は、神に、神が何であるかということをもっと私にお示しくださいと願うようにしています。私の祈りは次のようなものです:「あなたが私の父であり、また母であるということは、どういう意味か教えてください。あなたの子であるとは、どういうことですか。あなたの輝かしさについて、もっと教えてください。あなたを私に示してください」、などです。
実際、毎日、車で町へ出るとき、10キロほど田園風景のなかを走るのですが、私は神に、「あなたの隠れている真の姿」を、お示しください」と頼みます。そうしてから、私は神の美しさ、壮大さ、そして輝かしさの証拠を探すのです。そして、毎日、何かしら、私の考えに翼を与えてくれるものを見つけます。それは、野の草花であるかもしれませんし、飛び立つタカ、あるいは何頭かの鹿であるかもしれません。それらは神の壮麗さ、神の創造を指し示してくれます。そこで、私の2番目の重要なポイントは、日々の生活の中で、大きな事柄ばかりではなく、小さな事の中でも、神を経験できるように敏感であること、それを期待するということです。神はどこにでも存在するのですから、私たちは、今、神がここにいる、そしてどこにでもいるという事実を、いつでも目にすることができ、感じることができることを、期待していられるのです。
3番目は、神のどんな小さな片りん、かけら、でも、見たり、経験したりすることに、感謝することです。感謝とは、「考える」ことよりも、「感じる」ことです。それは心のものであって、実際に、私たちの目をもっと大きく開かせて、神の善意が、今、ここに存在することを分からせてくれるのです。感謝の心は、私たちの思考を高めて、日々の生活の否定的側面に飲み込まれてしまうことから、救い上げ、神から霊感を受けた喜びで満たしてくれます。
あの驚くべき瞬間以来、私は神が私に声に出して話しかけるのを、実際に、聞いていないのですが、神の愛と加護を身近に、暖かく、そして、途切れることなく感じています。これは本当にすばらしいことです。そして、このように神を身近に感じることは、私たち一人一人にとって可能なのです。それは、正に、今ここにあって、あなたを待っています!どうぞ、がんばってください!