私が15歳の時のことでした。私は、寄宿学校に行っていましたが、クリスマス休暇でシカゴの家に帰省していました。ある夜、暗い道を一人で歩いていたとき、突然、誰かが私の右腕を掴み、背中に何かを突きつけ、そして、「言う通りにしろ、さもないと、殺すぞ」、という男の声が聞こえました。
私たちがキリスト教科学の日曜学校で学ぶ真理は、決して私たちを離れることはありません! 私たちは決して神の守りから離れることはないことを、その時、私は覚えていたに違いありません、なぜなら、私は、心を落ちつかせて、通り過ぎる車を見て、私が助けを必要としていることに気づいてくれる人がいないか、確かめることができたからです。でも、誰もいませんでした。次に、私たちのいる歩道の後方を見ましたが、やはり誰もいませんでした。
するとそのとき、すばらしい天使の声が聞こえてきました:「私の唯一の望みは、彼のうちに神を見ることです」。どうして、このような恐ろしい状況下にあるとき、10代の女の子が、このような癒しの考えを持つことができたのでしょうか?
私は日曜学校で、聖書に、「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに… 創造された」(創世1:27)と、書かれていることを教えられてきました、これは、つまり、私たち一人一人、すべての人が、神、善、によって創造されていることを意味していました。私たちはみな神によって造られている、という真理を学んでいたことが、私をパニックに陥ることから守り、そしてまた、私がこの男の人の中に神の似姿を見る必要があるという、このすばらしい天使のメッセージに、私の考えを開いてくれたのだと思います。
その男の人は、私を、広告板の下の空地の方に、引っ張って行こうとしました。私は抵抗しました、そして、その男の人が私の方を向いて私を見たので、私はその男の人の目を見ながら、神が創造した人だけを見るようにしました、そして、その男の人に私から手を離すように、強く言いました。それでも、彼は、私を引っ張り続けていました。 私は抵抗を続け、そしてその男の人の目を見ながら、「放してください」と繰り返し言いました。すると、彼は私を突き離し、「それなら、行け」、と言いました。
私は、家に向かって走りながら、神の加護にどんなに深く感謝したことでしょう。これまでの人生において、この神の愛のすばらしい経験を思い出すことによって、何度となく恐怖心が癒されています。これは、まさに、メリー·ベーカー·エディ著『科学と健康─付聖書の鍵』に書かれている真理、「神性の愛は、人のあらゆる必要を常に満たしてきた、そしてこれからも常に満たす」(p. 494)ことを、明らかに証明していました。私は常に現存する神性の愛が、最高の守りであると確信しています。 家庭の中においても、世界においても、争いが起こっているときには、私たちは、まず自分自身が他の人たちのうちに、善を、神の似姿を、見出すことに挑戦しなければなりません。
Miscellaneous Writings 1883-1896、『小品集』のなかにある「あなたの敵を愛せ」という記事のなかで、エディ夫人は、他の人々をもっと霊的に見るように努力して得る勝利について、次のように書いています:「天国が地上に降りてきて、人間はついに『私には敵がいない』という教訓を習得する」(p.10)。
米国、アリゾナ州、テンピ
マージョリー·ソーントン
Marjorie Thornton