キリスト教科学 を通して、 また聖書を読むことによって私が学んだことは、 愛に満ちた 神 が存在するということです。 神 の愛と現存が癒しをもたらし、 どんな診断も覆すことができることを知りました.
数年前のこと、 私は断続的に胃の不調を覚え、 それがだんだんひどくなって、 ついにある日、 消化機能が全く働かなくなり、 食べることも、 飲むことも、 排泄することもできなくなりました。 仕事に行けず、 通常の活動が何も続けられなくなった中で、 私は、 祈りのみに頼って癒されたいと願っていました.
慈しみは、 私に、善を信じ、 神 の絶えざる加護を信じることから生れる、 心の冷静さと安定について、 語ってくれる。 慈しみによって、 私たちは、人生において、 たとえどのような経済的苦境に直面しようとも、 動揺しないでいることができるのである.
あれは、 サウロでしょうか、 それともパウロでしょうか。 あるパウロという、 献身的な、 そして優秀な会員になり得る人が、 教会の扉をたたいているとき、 常に私たちがそれに気づくとは限りません.
アブラハムは、 何を考えていたのでしょうか?! 神に命じられて、 モリヤの地に行くため、 アブラハムは3日のあいだ歩きつづけました。 アブラハムがその3日間に語ったこと、 考えたことについて、 聖書は、 何の記録も残していません.
私は、 自分が記憶力を失いつつあるのではないか、 と思いました。 5年ほど前 、 何も覚えていられないという状態になったのです.
私たちは、 日々、 生々しい映像や報道に接し、 そして時には、 欠乏、 機会の減少、 急速な景気後退などに悩む世界に生きているという思いで、 個人的にも挑戦を受けている。 しかし聖書の創世記は、 人は (男性も女性も)、 神 の映像、 また似姿に作られていると宣言している.
巨大な権力を持つ王に向かって、 「あなたは間違っている」 などと、 言わなければならないとき、 どのように話したらよいのでしょうか。 特にそれが、 多くの戦いに勝利し、 将軍たちからも、 召使いたちからも、 敬われ、 慕われている王だったとしたら、 どうでしょう.
ゲッセマネ。 耐え忍ぶ悲哀; 人間性が神性のものに屈服してゆくこと; 愛が、 何の反応も得られずとも、 なお変わらず愛であること.
あるとき、 飛行機に乗っていた折、 座席前のポケットに 「善い変化をもたらすために」 (Change for Good) と書かれた寄付のための封筒があったので、 たまっていた小銭 (change) を入れた。 なんとすてき名前だろう、 と思った.