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車の衝突による傷が、跡形もなく癒された

キリスト教科学さきがけ』2013年01月 1日号より

The Christian Science Sentinel  October 1, 2012


私が10代で運転し始めたばかりのある日、父のステーションワゴンに弟を助手席に乗せて運転していた。交差点で左折したときに、小型トラックが反対方向からやって来た。そして、全速力のまま私たちの車に衝突した。その衝撃の瞬間に、「主の祈り」の初めの2行が私の口から飛び出した:「御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように」(マタイ 6:10)。その一瞬に、私たちを取り囲むの国の確実さ、の安全と善意の意志の確実さが、私の考えを満たした。

弟と私は、その大破した車からなんとか出てきた。弟が車から出てきたとき、壊れた窓カラスが彼の全身に砕け散り、沢山の切り傷をつくり、彼が衝撃をまともに受けていることが分かった。それでも、彼は道路を横切って、公衆電話で会社にいる父に電話すると言った。私たちが父の車を運転していたので、父には、その場にすぐ来られる交通手段がなかった。後に、父は、どんな状態か気が気でなく、心配のあまり気も狂わんばかりだった、と私に話した。「私は彼らの父である。その場にいなければならない!」と彼は思ったそうだ。すると、静かな内なる声が、次のように知らせてくれた、「いや違う、わたしが彼らの父である。そして、わたしはまさに彼らとともにある」(出エジプト 3:14 参照)。これが父の心を静め、私たちが安全で大丈夫であることを確信させてくれた。すぐに、父は交通手段を見つけ、私たちのところに来てくれた。つづいて、母も自分の職場から飛んで来てくれた。

その頃には、救急隊員が到着し、優しく私たちの必要を見極め、世話してくれていた。衝突の激しさから考えれば、私たちは沢山の傷を負いながらも、みな表面的な傷であり、それ以上の怪我でないことに、彼らは率直に驚いていた。小型トラックの所有者も、同様にわずかな怪我ですんだ。救急隊員は、今晩から明日までは、状態を見守るようにと言って、弟と私を両親に委ねてくれた。

私たちは家に着くと、キリスト教科学実践士に電話をかけ、完全な癒しにいたるよう、私たちと一緒に祈って欲しいと頼んだ。家族みなで、静かに祈りながら夜を過ごした。私は、そのとき、弟と自分がすべてに渡ってしっかり守られたことに、心からの畏敬の念を覚えたことを思い出す。そしてまた、あのとき私は自分の意識に浮かんだ「主の祈り」の2行を、心の中でしっかり握っていたことを覚えている。それにより、愛、安寧、平和というの法則が、完全に働いているという確信が、私の意識を満たしていた。この法則の前で、私は、が私たちを完全に加護してくださっていることを、疑うことはできなかった。

翌朝、私は、午前4時までに仕事に就いていなければならなかった。目覚めて、身支度にとりかかったとき、すべての傷が消えていることに気付いた。すっかり無くなっていた。かさぶたも、傷跡も無かった。弟の体にも、ただ一つの傷跡も残っていなかった。私は、もちろん、両親を起こした。そして、私たちはみな、真のの完全な力強い加護を示すこの証拠に、深く感謝した。


『さきがけ』の使命

1903年に、メリー・ベーカー・エディは、『キリスト教科学さきがけ』を創刊しました。その目的は、「真理の普遍的活動と有用性を宣言する」ことでした。ある辞書によると、『さきがけ』定義は「先発の使者」(先触れ、先駆け)ー 後に起こる事が近づいていることを告げるために先立って送られる者、使者」であり、『さきがけ』という名称に重要な意味を与えています。さらにまた、この定義は、私たちの義務を指し示しています。それは私たち一人一人に課せられた義務であって、私たちには、私たちの『さきがけ』がその責務を十分に果たしているか見届ける義務があるのです。この責務はキリストと不可分であって、まず初めに、イエスが、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」(マルコ 16:15)と述べて、表明したものでした。

Mary Sands Lee (メリー・サンズ・リー)、Christian Science Sentinel, 1956年 7月 7日

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