夫と私はホテルに滞在していました。ある夜、私は暗く見知らぬ部屋でベッドに戻ろうとした際、横になろうとした瞬間にベッドの位置を誤ってしまい、ベッドの角に頭を打ち付けて転倒しました。その衝撃で完全に目が覚めました。
私は転倒の最中に、突然「grace(恵み)」という言葉が頭に浮かび、それと同時に神の愛と恵みを感じました。そして次に、現実には、事故は存在しないという考えも浮かびました。これは、メリー・ベーカー・エディの『科学と健康付聖書の鍵』というキリスト教科学の教科書で学んだことでした。全文は次のように書かれています。「事故について、神、すなわち不滅の心は知らないのである、そこでわたしたちは人間的基礎に立つ信念を捨て、唯一の心と一体にならなければならない、こうしてこそ偶然というものはなく、すべては神の誤りない指示によるという正しい観念に考えを変えて、調和をもたらすことができるのである」(p. 424)。私にとってこれは、私自身が神、すなわち霊の愛する霊的創造物として、常に神の保護下にあり、その愛から離れることはできないことを意味するものです。
夫はすぐに駆けつけ、起き上がれるように手をかしてくれて、祈ってくれました。私たちはキリスト教科学の実践士に祈りを依頼するメッセージを送りました。実践士は返事をしてくれて、祈りの依頼に承諾してくれました。夫の助けを借りて、私は床から起き上がり、ベッドに入ることができました。
その時、もう一つの考えが思い浮かびました。それは、神の国には事故がないため、ショックや歓迎しない驚きはないということです。そして、自分だけでなく、世界中の誰に対しても驚きやトラブルがないことを知るために祈るべきだと気づきました。この考えは励みになりました。他者のために利己的な動機なく祈ることは、私を落ち着かせ、皆が神によって守られ、愛されていることを知るきっかけになりました。
私は安らかに寝むれました。翌朝、頭に切り傷はありましたが、レストランで朝食をとったり、帰りの飛行機に乗るなど、通常の活動を続けることができました。
私は、祈りによってこの出来事が、私たちの旅行の何の妨げにもならなかったことに安堵しました。私は、神の加護に心から感謝し、そしてまた実践士と夫の祈りにも感謝しています。神が私たちの歩みを大切に守ってくださっているからこそ、私たちは安全であると感じるのだと確信しています。神と共にあれば、すべては順調です。幸いなことに、私もそうでした。
スー・パターソン
メイン州エルスワース、アメリカ合衆国