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心の大気

キリスト教科学さきがけ』2024年10月16日号より

ウィリアムD・マクラッカン


の統治は、人間の思考に及ぶように、大気圏にも及んでいる。過度の暑さや寒さ、湿気や乾燥、風や雹(ひょう) や電気によって、神のうちに一体である人が犠牲になることはない。破壊的な物理現象は、愛情深いから生じるものではない。キリスト教科学では、そのような現象の心的起源を明確にし、神性のによってその活動がコントロールされていることをはっきり示してくれる。満足のいく物質の定義を、思考の観点以外に求めることはできない、したがって、物理的条件におよぶ統治を真に効果的なものにするためには、正しく考える力によって行使される。 

エディ夫人は、『科学と健康付聖書の鍵』(p. 590)の中の用語解説の章で「天の王国」の定義を、「神性科学における調和の統治;全く誤りのない、永遠で、全能なるの領域;の雰囲気、そこにおいてが至上である」と説明している。

したがって、真の大気圏は常に和やかであり、大気が物理的なものであるという信念は、天の王国の霊的実現によって正しく統治される。この理解を適用するキリスト教科学者の前には、無限と言っていいほどの善行の展望が開けてくる。農夫、船乗り、旅行者、商人、父親、母親、子供、そしてキリスト教科学関連のさまざまな活動に従事する人々は、天候が正しい目的を妨げたり、人を神の愛から引き離したりすることはできないと確信できる。この科学は、エディ夫人の教えによって明らかにされており、恐怖が根拠のないものであることを示している。それは、恐怖は神秘に基づき、科学は神秘を消滅させるからである。

スコラ神学が、イエスはであるという教えで人々の思想を支配している限り、嵐を静めた師の模範は何の効果もなかったことになる。キリスト・イエスは自らをの子と言い、弟子の一人であるヨハネは「愛する者たちよ。わたしたちは今や神の子である」と宣言した(第1ヨハネ3:2)。それゆえ、師イエスに従う真の信者は、偉大な模範者がそうすべきであると示されたように、天候をに従わせることを学ぶのである。ハリケーンも、凍てつく霜も、電撃も、死すべき心の現れに過ぎず、霊的な理解によって治療することができる。物質的現象の神秘主義は、キリスト教科学によって科学的に、そして最終的に説明された。物質的現象の強烈な攻撃は、その正体を深く知ることによって、無効にすることができる。

例えば、エディ夫人は、の啓示に耳を傾けることにより、物質で定義しようとしたどんな物理科学者よりも、電気を正確に定義した。キリスト教科学の教科書の293ページにはこう書いてある: 「電気は、命をもつ流動体ではなくて、物質形体をほとんど備えない掴みどころのない意識なのである、ーつまり物質的で、心の無い状態であり、物質とをつなぐものではなく自滅するものである。電気は、物質性の激しい余剰であり、霊性すなわち真理の真の本質を偽造したものである、ーその大きな違いは、電気は知性的でないが、霊的真理はであることである」。つまり、電気には固有の知性がなく、それ自身の法則もなく、考える能力もなく、したがって行動する力もないことを認識しよう。そして電気を邪悪な目的に使おうとする仮の偽物心の意図は、唯一の知性である神性のによって挫かれる。そして、稲妻の閃光はすべての方向と目的を失い、危害を加えようとする全ての力を失う。

正しい目的が自信に満ちた大気(意識)を生み出すというのは明らかではないだろうか。根本的な誠実さは、他者の誠実さを呼び起こす。詩篇の作者は、迫害され無法者とみなされても、神性なる判断に身を委ねることをためらわなかった、それは自らの心を知っていたからである。「主よ、わたしの義と、わたしにある誠実とに従って、わたしをさばいてください」(詩篇7:8)。助けたいという願望は、苦しんでいる人類全体の上に助けあいの大気(意識)を広げる。他人の良いところを見る習慣は、彼らを慈愛に満ちたマントで包み込み、「人間の人間に対する非人間性 」という冬の嵐の強風から守ってくれる。天の国の意識に身を置くことは、清々しい雨、心地よい風、純粋な太陽の光、甘い香りのする「の大気・雰囲気」をもたらす。そこには極端なものはなくなり、真の平和が存在する。

私たちの心の大気を邪悪な思考から解放し澄み切った状態に保つことは、健康、強さ、持久力、霊的な平和と喜びを保証する。憎しみが大気を汚染したり、爆発や脳震盪や衝撃や傷をもたらしたり、が癒すことのできない災いを招くことはない。多くの勇敢な兵士や水兵が戦争の復讐の瘴気(心の汚染)にさらされているなか、キリスト教科学者の愛の務めはすでに明白である。次の賛美歌が、陸や海を超え、兵士の安全で待ち望む帰還を準備している(注:賛美歌144番の直訳です。キリスト教科学出版協会の賛美歌の日本語訳とは異なります)。

神聖な愛につつまれて

私たちは生き、動き、呼吸する。

その愛は人の目には見えないかもしれない

感覚が、欺こうとするから。

、不滅の原理

どこにいても私たちとともにおられるから;

神はその愛のうちにわれらを完全に守り、

そして、私たちを神の映像として映し出される

William D. McCrackan
ウィリアムD・マクラッカン

『さきがけ』の使命

1903年に、メリー・ベーカー・エディは、『キリスト教科学さきがけ』を創刊しました。その目的は、「真理の普遍的活動と有用性を宣言する」ことでした。ある辞書によると、『さきがけ』定義は「先発の使者」(先触れ、先駆け)ー 後に起こる事が近づいていることを告げるために先立って送られる者、使者」であり、『さきがけ』という名称に重要な意味を与えています。さらにまた、この定義は、私たちの義務を指し示しています。それは私たち一人一人に課せられた義務であって、私たちには、私たちの『さきがけ』がその責務を十分に果たしているか見届ける義務があるのです。この責務はキリストと不可分であって、まず初めに、イエスが、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」(マルコ 16:15)と述べて、表明したものでした。

Mary Sands Lee (メリー・サンズ・リー)、Christian Science Sentinel, 1956年 7月 7日

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