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あなたはウクライナのためにどのように祈っていますか?

キリスト教科学さきがけ』2022年06月 8日号より


あなたはウクライナのためにどのように祈っていますか? ロシアによるウクライナへの侵攻と爆撃が続く中、クリスチャン・サイエンス・センチネル(週刊誌)の読者の皆さんに、どのように平和のために祈っているか聞きました。世界情勢が厳 しい時、に耳を傾けることは、どのように長期的な解決をもたらすのでしょうか。ヨーロッパやアメリカ合衆国に住む6人の寄稿者に、祈りに満ちた答えを聞かせてもらいました。また、メリー・ベーカー・エディ・ライブラリーからも、1904-1905年の日露戦争の際に、エディ夫人と母教会会員たちが、停戦祈願に関わった話を提供しても らいました。その記事は以下のリンクで読むことができます 。marybakereddylibrary.org/russojapanesewar 

ローラ・ラポイント
世界の深刻な問題に直面した時、常に目に見える物事を思考に変えること「感覚の対象物を魂の理念」に交換することから始めます。(メ リー・ベーカー・エディ著科学と健康―附聖書の鍵」(p. 269) これは祈る方法の一つです。時々、平和のために祈るだけでは足りないように感じます。しかし、私たちの思考は、思う以上に また時には予期せぬ形で、影響力が あると私は信じていますし、また、経験からそのことを知っています。 

最近は、祈りの中で 自我、権力、支配について焦点をおくようになっています。これらを世界の人々や情勢に関連づけるのではなく、私が今いる 場所においてこれらの問題にどのように向き合うことができるか、自分の考えや行動に目を向けることを始めました。身近なことについて祈ることは、大きな規模での解決につながると知っているからです。

私は、支配しようとする利己的な欲望を自分の経験の中から根絶することができるのだということがわかりました。私の教会である状況がありそれについて 私はある対処法がいいと強く思っていました。そして、それを他の人にも押し付けようとしていることに気づいたのです。祈るうち に、もっと謙虚であること、に(教会会員やその他の人たちは言うまで もなく)耳を傾ける必要性は、世界状況においても同じだということに気づきました。

ウクライナの大きな困難と比べれば、私の教会での状況は些細なことだというのはわかっています。それでも、神性な意識、の存在は、全ての正しい取り組みを継続させ、それらに知識を与えます。科学と健康」はそれを 次のように説明しています。「は、理解を授けて、この理解が意識を高め、あらゆる真理に導き入れる。」(p.505) 

全ての事物についての究極の真実と実態には、完璧な平和と調和が含まれていなくてはなりません。そして、私たちは、生活の中でこのことを意識することから始められるのです。全能で偏在するによって高められるたびに、私たちは、普遍の思考と経験を実際の形で高め、平和がより実現可能な世界へ向かって前進しているのです。 

クリスチャン・ハーダー

の愛は全ての人々を取り巻いています。

ウクライナでの戦闘、そして、それに至る出来事に何万人もの人々が影響を受けています。メディアの報道は、この紛争を二つに分断するかのように見えます。一つは、善で、もう一つは悪です。しかしもう少しよく見て みると、多くの立場が明らかになります。ウクライナの民間人や兵士たち 、親ロシア派の戦闘員、ロシア武力勢力の中のあまり乗り気でない徴集兵 たち、戦争に反対するロシアやウクライナの抗議者、戦争を二度と見たく ないと願っていた中東やその他の難民たち、その他大勢の人たちです。 

しかし、一歩下がってもう少し広い視野に立って見てみると、彼らが巻き 込まれたその背景にある体験談にかかわらず、当事者一人ひとりが、私たちの慈悲を受けるにふさわしく、それぞれが暴力の連鎖を止める手助けをすることができる、ということが見えてきます。戦争における本当の敵は、国でもなく、ある国の軍でもありません。の子らが、分断され争い合っている、もしくは分断されうるという考えです。は、神の子、一 人一人において、の愛を表します。そのことに例外はありません。ですから、私たち一人一人には、の愛を表し、何ら疑問もなくそれが表現されるのを見る能力、意思、機会があるのです。戦争の真っ只中にいようと、そこから避難している最中であろうと、またそういった人々のために祈っている時であろうと、「攻撃、圧迫、権力の誇り」(科学と健康 p.451)を終わらせるために。 

グラハム・サッチャー 

ウクライナの産科病棟が爆撃されたのを聞いてショックを受けました。初めは、ロシアの大統領に憎しみを抱き、彼のことを悪の人間的な具現だと思いました。 

しかし、近隣で犯罪が起こった時に、正義のために祈ったことを思い出しました。その時、原理であり、最高の立法者で、全ての正義の源であ ることを信じることを学びました。また、「主の祈り」に断言されているよう に、正義は行われると確信していました。「我らのよ」「みこころが 天に行われるとおり、地にも行われ」るからです。(マタイ6:9,10) 犯罪者が、裁判中に苦しむか、自ら改心するかを知る必要はありませんでした 。私に必要なのは、結果は、神性の原理が計画したように全てにとっての正義が表されるという確信のみでした。キリストの人へのメッセー ジが犯罪者にも語りかけることを知っていました。関わった全ての人が、 の正義と善の一つ一つの表現で、の統治に従わなければならないので す。 

真理の癒し」と言う記事で、エディ夫人は、次のように述べています 。「神性の法則では、罪と苦しみは、悔い改めや赦免によって無効にされ るものではない。キリスト教科学は、存在の真実を解明するだけでなく、 実証する。存在の真理とは、つまり、意図的にせよ知らずにせよ、物質的な人間が犯した過ちに苦しむこと、過ちの結果やその増幅は、本人が神性の法則に負債を完全に返すまで、本人に及ぶこと、そして、本人が量られ たその量りでおし入れ、溢れ出るまでに量り返されであろう。まさに『罪人の道は困難である。』」(Miscellaneous Writing 1883-96, p.261) 

私は、人が悪と無法の人間的感覚に影響を受けやすいと言う認識を捨て去るよ うに祈っています。つまり、人は神の全てであり善であることの完 全なる映像であるという個々の認識です。全ての指導者たちは、キリスト の言葉を聞き、罪を悔い改め、自らの行動を改善することができます。従って、結果的に起こる苦しみを経験せずに済むことができるのです。 

ロザリー・E・ダンバー 

祈りは、人間の意志、残酷さ、悪意を取り除き、そのような攻撃的な行為を受けている人々を救います。癒し手という立場から、悪を超越するの力、そして、の力の信念とともにこれらの困難に立ち向かうことで、思考を広げ 、前には明らかではなかった解決法に至ることができます。 

私にとって、これは、神性のの力が、私たちの知識で考えうる解決法だ けに限られていないことを意味します。友人の一人が「愛は、八方塞がり の状況でも何らかの道を見出せる」とよく言っていました。それは、私たちが何を考えていようとも、神性の霊感は、物質的状態を超越する新しく素晴らしい解決法を導くことができると言う意味でした。 

このことが、ウクライナの現状でどのように展開するかは、今の時点では 予測できないかもしれません。しかし、私たち一人ひとりができうる限り、の主権、導き、指示を主張することが重要です。エディ夫人が著書の 中で、は、である-無限で、全てを愛し、全て善であると宣言しまし た。私たちの祈りでも、唯一のが持つ全ての力を主張することができる のです。唯一のは、その一つ一つの理念を愛しています。 

ダグラス・ポール 

エディ夫人は、「キリストの神威は、イエスの人間性に表されたのである 」(科学と健康, p.25)と書いています。 

ロシアがウクライナに侵攻する前の何週間もの間、私は、毎日、個人にとって、またさらに大きな実体にとって、神威がどのように人類を受け入れ るのか、そして、そのことが実際的に示唆することは何かと問いかけてい ました。私にとって確かな結論は、制限され不調和な物質的状況において もキリスト真理の力強い神性の存在が、たとえ物質的感覚には知られなくとも人の意識に存在し活動しているという認識でした。この認識は、物質に起因する思考・活動体系が持つ制約と残酷さを超えたレベルに、人間 の経験を高めることができます。それは、「光はやみの中に輝いている。 そしてやみはこれに勝たなかった」における光です。(ヨハネ1:5) 

他の神性なる本質の中で、知恵ということが頭に浮かび、特に重要に思わ れました。聖書の貧しき知者の逸話で、「知恵は戦いの武器にまさる」 と語られています。(伝道の書 9:13-18) その人は力のある王が町を攻撃した時に、知恵を通して町を救ったのです。ウクライナについて話し合いや協議をしている多くの政府機関と指導者たちは、人間の能力を超えた知恵を直ちに必要としています。神性の知恵の素晴らしさは、関わっている人たち全てにそれが入手できると言うことです。党派にかかわらず、互恵的です。知恵は、無私なるの静けさの中に聞こえる神性のの声です。 利己主義、脅威、最後通告、混乱などの荒れ狂う騒音の中で、神性の知恵 のうちなる声が聞かれ、相互に満足できる道筋を示してくれるでしょう。 

私たちは、知恵の声が、耳に届き、受け入れられると認識するように祈る ことができます。それによって、個々の人々や国々のためにその日を勝ち 取ることができます。 

ビアトリス・ラバーズ 

多くの人たちと同じように、私は、ウクライナについて祈ってきました。 その一つの方法は、野蛮な考え、悪、そして、破壊的な力は、の国に おいては実在しないので、それらは実行可能性を失わねばならないと理解 することです。「粘着力・結合力・引力はの属性である」(科学と健康 p.124)ので、誤った考えと概念は、人の本当の意識にくっついたり、引き付けたり、結びついたりすることはできません。人の根本となる能力と 目的は、原理に結びつくこと、善に引き付けられる関係にあること、 有益な理念に結合することです。この粘着、結合の神性なる法則は、解決をもたらす状況を生み出します。 

数年前、民間人へのテロ攻撃がパリで多発していた頃、たくさんの人たちが今ウクライナのためにしているように、何か助けになることをしたいと思いました。そして、祈りにこの願いを取り入れました。するとある日、 私は世界健康機構の図書館にいたのですが、入ってきた男性と会話をし始めました。そして、殺人は止まらなければならないということについて、 自然と彼に語っている自分がいました。翌日、その男性がテロ行為で非難 されている国の外相であることを新聞の写真で知ってびっくりしました。 男性の身分を知らずに、彼に話すように導かれたことに驚嘆しました。 

そのすぐ後、殺人は止まりました。水の一滴一滴が海にとって重要だと言われるように、助けたいという誠実な思いの一つ一つが、問題を終結させることに貢献できるのです。 

『さきがけ』の使命

1903年に、メリー・ベーカー・エディは、『キリスト教科学さきがけ』を創刊しました。その目的は、「真理の普遍的活動と有用性を宣言する」ことでした。ある辞書によると、『さきがけ』定義は「先発の使者」(先触れ、先駆け)ー 後に起こる事が近づいていることを告げるために先立って送られる者、使者」であり、『さきがけ』という名称に重要な意味を与えています。さらにまた、この定義は、私たちの義務を指し示しています。それは私たち一人一人に課せられた義務であって、私たちには、私たちの『さきがけ』がその責務を十分に果たしているか見届ける義務があるのです。この責務はキリストと不可分であって、まず初めに、イエスが、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」(マルコ 16:15)と述べて、表明したものでした。

Mary Sands Lee (メリー・サンズ・リー)、Christian Science Sentinel, 1956年 7月 7日

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