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「トラウマに打ち勝つ愛の聖なる力」

キリスト教科学さきがけ』2021年11月22日号より

クリスチャン・サイエンス・センチネル, 2021年、9月20日


キリスト教科学の実践士たちは、あらゆる弊害の癒やしを祈りを通して求める人々から度々電話を受けます。それぞれの状況において、相談者と実践士は、その人の霊的で清いの子としての自己、そしてと離れることのできない関係性を肯定し、心を込めて祈ります。 

私も一般の方から電話をうける実践を始めて間もなく、過去のトラウマに苦しむ人々からの電話を続々と受けました。過去の否定的な衝撃や失望感はもう支配していないと気づくまで、一緒に祈りまし た。それぞれ異なる度合いではあれ、生まれながら「の子」であることに基づく霊的清さという 真に新たな理解の上に立ち、自分たちの人生をより広い意味で克服できるようになりました。 

そして、この経験を通して、私自身の癒しの実践の基盤となる驚くようなことを目撃しました。 それは、被害に対して抗議し、癒やしを追求するよう彼らを突き動かす、粘り強い積極的な感覚を一人一人持っているということです。キリスト教科学は、それは、みんなが生まれながら持っている霊的感覚であり、それが私たちの源であるを理解する能力だということを教えます。この霊的感覚は、が唯一の実在する力であり、完全なる真理なのだから、誤りには正当性などないことを、私たちが認識できるよう力づけてくれます。 

一般的にトラウマにかかると、尊いもの全てを失うと言われています。しかし、による神性なものが不可抗力となり、聖なるものが脆いものとなることができるでしょうか。イエスは、罪、病、死に打ち勝つことによって、聖なるものが何も失われていないことを示しました。 

イエスは、100%霊的な本質に基づく人の「抵抗力」を、圧倒する悪の力はないと知っていたのです。彼は、悪を無視したり隠れたままにはせず、直接立ち向かいました。はっきりと闇に挑み、 光をもたらしました。 

このキリストの光は、精神的、身体的な病の偽りの力と同様、恐れも取り去り、それらのネ ガティヴな影響をひっくり返し、癒しのために彼のところに来た人たちの、本来の“善”である無傷で完全なる姿を現しました。 

トラウマが、人の歴史の一部となり、そこから逃れられないという考え方は、トラウマがずっと続いていく現実であるかのように感じさせます。繰り返される、対処されていない悪による疲弊は、 私たちを、“進歩は不可能である”、“トラウマに適応する以外に道がない”という気持ちに導く かもしれません。しかし、イエスの教えや、証明された証しにあるように、神性なの完璧な映像である私たち一人一人が、いかなる形の悪によっても、定義されたり、制限されたりすることはないと認識することによって、落胆や恐怖を切り抜けることができるのです。私たちの本来の清さは、強くはっきりと 確立しているものです。から与えられた尊厳、知性、そして喜びは、私たちの個性の永久的一部なのです。

私たちの聖なる潔白は、トラウマの主張に対抗する強力な武器となります。キリスト教科学の教科書である、メリー・ベーカー・エディ著の「科学と健康―付聖書の鍵」は、「最大の間違いは、最高の正しさの反対の偽造にすぎない。科学の霊感からくる確信は、真理が実在で、誤り が非実在である、という事実にある。」と説明しています。(P.368) 

私たちの真の遺産を認識することで、自分自身の誤った、そして制限された物質的感覚から抜け出し霊的な感覚へと成長することができるのです。

科学と健康」は、「人の奴隷状態は正当ではない。人が自由という世襲財産、すなわち物質的感覚を制する“の与える”支配権、 を受けるとき、この奴隷状態は終わる。」と言い切っています。(P.228) 

清さと、聖なる全てのものは、から生まれ、真であり、実質です。人間の心が見て、聞き、 分析することは、私たちに何が真実で、真実でないかを伝えられませんが、キリスト教科学の教えは、悪がの一部でも、の子らの一部でもなく、完全に霊的で善であるということを明らかにしてくれます。

唯一の力である善なるの認識を通して、一歩ずつ、私たちは喜びに目覚め、過去のあらゆる トラウマや歴史に勝る力を得ることができます。この方向へ進む一歩一歩がトラウマの影響を、それがいつか消えるまで弱めていきます。不変で、全てを支配する善の源であるの権威と、壊れることのない神と私たちの関係に自信が深まると共に、私たちは人の霊的起源を認め、内なる対抗力と、悪に打ち勝つ能力のあることを祝うのです。人は、神性で聖なるもの、また真なるものを、今までも失ったことはなく、これからも失うことはないという確信とともに、私たちはと一つであるという理解に安らぐことができます。そして、前に進んで行けるのです。

『さきがけ』の使命

1903年に、メリー・ベーカー・エディは、『キリスト教科学さきがけ』を創刊しました。その目的は、「真理の普遍的活動と有用性を宣言する」ことでした。ある辞書によると、『さきがけ』定義は「先発の使者」(先触れ、先駆け)ー 後に起こる事が近づいていることを告げるために先立って送られる者、使者」であり、『さきがけ』という名称に重要な意味を与えています。さらにまた、この定義は、私たちの義務を指し示しています。それは私たち一人一人に課せられた義務であって、私たちには、私たちの『さきがけ』がその責務を十分に果たしているか見届ける義務があるのです。この責務はキリストと不可分であって、まず初めに、イエスが、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」(マルコ 16:15)と述べて、表明したものでした。

Mary Sands Lee (メリー・サンズ・リー)、Christian Science Sentinel, 1956年 7月 7日

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