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The Christian Science Monitor ザ・クリスチャン・サイエンス・モニター紙 — その真価

キリスト教科学さきがけ』2016年06月24日号より

The Christian Science Journal2015年8月号より


メリー・ベーカー・エディが日刊新聞の刊行に取り掛かるよう指示したとき彼女は意味深い声明を出した。この声明の中で述べられなかったこと、また述べられたことの双方に、注目すべきである。

エディ夫人はこの声明のなかで、今や、報道界は、The Christian Science Monitor  クリスチャン・サイエンス・モニター紙 を必要としている、とは言わなかった。しかしながら、彼女がメディアの不公正な攻撃にたびたびさらされてきているなかで、アメリカのニュース報道の基準を高める必要があることを鋭く認識していたことは間違いない。一方、彼女は、次のように言っているのである:「(キリスト教科学の)大目的が、今や、その刊行を必要としている」(彼女がキリスト教科学出版協会の評議員に送った書簡より、August 8, 1908, LO7268, © The Mary Baker Eddy Collection)。

この声明の意味することを、特に考えてみる必要がある、というのは、新聞というものが教会の繁栄にとって主要であるということは、一見、考えられないことだからである。同時にまた、The Christian Science Monitor が存在しなかったなら、キリスト教科学の大目的はどれほど違ったものとなっていたか、考えてみるように促される。 

「誰をも傷つけることなく」、むしろ「全人類に恵みをもたらす」(メリー・ベーカー・エディ著、 The First Church of Christ, Scientist, and Miscellany, 『第一科学者キリスト教会と文集』、p. 353)、という命題に資する決意を持つ新聞が必要とされていることは、モニター紙が創刊された1908年までに、十分に明白となっていた。当時のいわゆる「イエロージャーナリズム」、つまりセンセーショナルな報道は、しばしば事実を粉飾し、過度に強調し、誇張して報じることを特徴とし、あまつさえ事実無根の話を作り上げてしまうことさえあったのである。一方、今日の報道機関は、一般に、事実により忠実ではあるが、当たり障りなく、似たり寄ったりで、真剣さに欠け、より人物中心であり、重要な国家の問題、特に国際問題に焦点を当てたものが、極めて少ない。モニター紙は、このような傾向とは明白に袂を分かつのである。

しかし、キリスト教科学の大目的にとってモニター紙の持つ意義は、単なる報道の秀逸さをはるかに超えたものである。つまり、その意義は、次の根本的事実にある:モニター紙は、エディ夫人の教会と世界を繋ぐ最重要な接点である、つまり、世界がキリスト教科学と繋がるリンク、接点、であり、キリスト教科学者が世界と繋がるリンク、接点、である。つまり、どのような人間的問題にでも、キリスト真理の癒しが届かないことはないという、彼女の揺るぎない確信の所産であり、このキリスト真理の基盤の上に、彼女の教会は築かれている。この意味において、モニター紙は、エディ夫人の教会の理念が完全に実証されるために、不可欠のものであったと見ることができる。

モニター紙が世界の思考に影響を与えていることが、モニター紙のある海外特派員の心温まる経験で明らかに示された。彼は夜遅く、訪れていたなじみのない街で車を走らせていたとき、通行人に道を尋ねた。その人にどんな仕事をしているのかと尋ねられて、自分は新聞記者だと言った。どの新聞かと聞かれたので、彼は、The Christian Science Monitor クリスチャン・サイエンス・モニター紙だと答えた。一瞬の沈黙のあと、その人は、深い敬意をもって「それはきっと素晴らしい新聞なのでしょう!」と言ったのである。 

特派員は、その地域にはモニター紙の購読者はいないことに気づき、その通行人はおそらくモニター紙を一度も目にしたことがないだろうと思った。しかし、会話を続けるうちに、The Christian Science Monitor” という言葉そのものが、公正さと、誠実さと、思いやりをもってニュースを扱っているという深い印象を、彼の意識のなかに呼び覚ましていたことが、分かったのである。 

この話は、モニター紙が、そのような敬意を人々の心に育みつつ、長年にわたりキリスト教科学の良き大使の働きをしてきたことを示唆している。しかし、モニター紙の持つ意義の核心は、ただ単に教会に名声をもたらすというようなことではない。それは、世界に救済をもたらすという、はるかに重要なものであり、この新聞は、読者に世界の問題に焦点を合わせて世界を見ることを要求することにより、世界救済の意義を果たしてゆく、つまりそれは、聖書の良きサマリア人の寓話にあるように、祭司やレビ人のように道の向こう側を通って行くことがないように、ということである。 

世界に救いをもたらすことは、まず世界についての情報を得ることによって始まり、モニター紙の役割は、まさにそこにある。モニター紙は、ニュースを伝え、解析し、その事象の背景、そして本質を明らかにすることにより、対処すべき世界の主たる悪、誤ちを、白日の下に曝す、つまり、緊急の政治的、経済的、社会的、また環境上の問題を、祈りをもって改善するために、それらに光を当てるのである。モニター紙は、読者たちを世界の極めて手に負えない問題に向き合わせるが、しかし必然的に、キリスト教科学者が発行する新聞独特の方法でそれを行なう。モニター紙は、世界の集団的な、また個人的な悪を識別し、否定せよ、というエディ夫人の命令に従いたいと願う人々にとって、しかもそれをキリスト教科学の教科書『科学と健康—付聖書の鍵』が明示する、人間的な直感ではない方法で行ないたいと願う人々にとって、欠くことのできない助けである。エディ夫人は書いている:「あらゆる型の悪や病の主張を暴露して、公然と非難するように、ただし、それらに実在性のないことを自覚していなさい」(p. 447)。 

もし、モニター紙が、今日のジャーナリズムの傾向と対立する立場を取らねばならないとすれば、読者もまた、今日ニュースを求める人々のあいだで広く見られる傾向と対立する立場をとる必要がある:すなわち軽薄なものを重要事項に優先させたり、人間的話題を国家的あるいは国際的問題に優先させたり、あるいは大見出しなどによる大々的な宣伝を、思慮深い分析に優先させたりする傾向である。 

モニター紙は、世界のことを心から心配し、世界の人々のためにキリスト的な暖かい思いやりを持つ読者たちに、世界の現状を理解し、世界を動かしている力や傾向を察知する責任を進んで担うように促している、そしてそれが意味するもの、つまりThe Christian Science Monitor モニター紙、の発行が意味しているものを真剣な決意をもって支えるように求めている。すなわち、モニター紙の読者であるためには、世界に癒しと啓発をもたらすという高い動機が常に果されるよう願う、深い無私の心が求められるのである。

そこで、おそらく読者に、まず第一に求められることは、この新聞の創刊者の深い洞察力を十分に把握することであろう。彼女は、モニター紙の使命は、ただ単に上質のジャーナリズム、報道機関、であることではなく、また、ただ単に人々が正しい情報を得ることでもなく、究極的にそれは、人類の救済であると考えていた。モニター紙の初期の論説委員長の一人であったジョン・J・フリン氏は、次のように説明している:モニター紙は、「(メリー・ベーカー・エディの)人類を啓発し、再生させるという目標の根幹を成していた;つまり、人類が、の彼女に啓示した神性原理を理解し、受け入れ易くするために、道を開いているのである」(John J. Flinn, The Monitor‘s Establishment,” The Christian Science Journal, June 1929)。

創刊から100年余りたった今日、The Christian Science Monitor モニター紙 は、世界における理性の声であり続ける、つまり、党派心によって、宗教的信念の対立によって、そして人類の福祉がますます脅かされることによって、あえぎ苦しむ世界における、理性の声なのである。この新聞は、世界の状況を責任をもって評価し、そして癒すために必要とされる思慮深い、バランスの取れた、権威ある分析を提供している。騒々しい、感情的な、党派心に偏る今日のジャーナリズムのなかで、この新聞は世界の救済を祈るために肝要な、より静かな心的環境を提供している、そしてその祈りは世界の救済に極めて重要なのである。

The Christian Science Monitor モニター紙 の重要性は、世間一般が考える収益率によって公正に計ることはできない、なぜなら、その出版の動機が商業主義によるものではないからである。しかし、今や、この過去1世紀に示されているように、その重要性は創刊者の厳しい基準に照らして計ることができる、つまりそれは、幾世代にもわたる読者たちに、貧困な世界に、真理の救済をもたらす力を実証すべき動機をもたらしてきたことである。

エディ夫人は書いている:「少数の賢明な思索者たちは… 強大な帝国よりも強い」(『文集』、p. 162)。これが、「尽きることなく働く科学を、分かつことなく広める」(『文集』、p. 353) という、モニター紙の不可欠の使命を理解し、それに応える人々にとって、この新聞が持つ意味である。

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『さきがけ』の使命

1903年に、メリー・ベーカー・エディは、『キリスト教科学さきがけ』を創刊しました。その目的は、「真理の普遍的活動と有用性を宣言する」ことでした。ある辞書によると、『さきがけ』定義は「先発の使者」(先触れ、先駆け)ー 後に起こる事が近づいていることを告げるために先立って送られる者、使者」であり、『さきがけ』という名称に重要な意味を与えています。さらにまた、この定義は、私たちの義務を指し示しています。それは私たち一人一人に課せられた義務であって、私たちには、私たちの『さきがけ』がその責務を十分に果たしているか見届ける義務があるのです。この責務はキリストと不可分であって、まず初めに、イエスが、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」(マルコ 16:15)と述べて、表明したものでした。

Mary Sands Lee (メリー・サンズ・リー)、Christian Science Sentinel, 1956年 7月 7日

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