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キリスト教科学の癒しの実践について ーレッ サ・レイジェが、 サインズ・ 富二子 とスティーブンス・デイブを インタビュー

キリスト教科学さきがけ』2010年09月 1日号より

キリスト教科学さきがけ, September 2010


キリスト教科学の理事会のメンバーが、支教会会員や母教会会員の友と直接語り合うために、世界各国からの招待に応じて実際に世界各地を周る旅を開始してから、5年以上が経ちました。これらの現地訪問をとおして、理事会は、国際的な教会である、キリスト教科学者の「家族」と共に手を取り合う機会を増しました。これらの現地会合は、世界中のキリスト教科学の教会、小教会、その他小さなグループやメンバー間の絆をより強くしました。

そして、更にキリスト教科学の公共的癒しの実践について具体的に話し合える特別なミーティングを開く機会が、その後ごく自然に生まれました。なぜなら、キリスト教科学にとって霊的癒しは核をなす中心的存在だからです。そのような特別会合は、既に、 オーストラリア、ドイツ、そしてラテン・アメリカおよびアフリカ諸国で、キリスト教科学の教師たちによって開かれてきました。

そこで今年は、この10月と11月に、今年度母教会会長を務めるサインズ・高井富二子(東京在住のキリスト教科学の実践士および教師)と、スティーブンス・デイブ(カリフォルニア在住のキリスト教科学の実践士および教師)の二人に、アジア各国を現地訪問するよう理事会が依頼しました。そして、彼らの現地訪問中に、キリスト教科学実践士、看護師、そして、キリスト教科学の公共的癒しと、それを支える看護についてもっと知りたい人々のための、対話形式のワークショップが開催されることになりました。

そこで、キリスト教科学「ヘラルド」(外国語定期出版物で日本語版は「さきがけ」)の編集担当のレッサ・レイジェさんが、富二子さんとデイブさんと最近座談会を行いました。その内容を、以下に掲載いたします(一部割愛)。

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レイジェ:富二子さん、デイブさん、こうしてお二人がボストンに同時にいらっしゃっている時に、今秋アジア数カ国で行われる、素晴らしいイベントについて直接お話を伺えることを、大変嬉しく思います。アジアの国々に住むキリスト教科学者の皆さんは、お二人が直接出向かれて、キリスト教科学の癒しの実践についてのワークショップをすることを心待ちにされていることでしょう。まず、このワークショップの目的と、対象参加者について、説明して頂けますか。

富二子:まず2種類のワークショップを考えています。1つめは、霊的癒し、祈り,そしてキリスト教科学の教えと実践に興味のある方なら、どなたでも参加して頂けるものです。

デイブ:もう1つのワークショップは、既にキリスト教科学の癒しの実践現場にかかわっている人達のためのものです、それは、キリスト教科学の月刊誌「クリスチャン・サイエンス・ジャーナル」に広告を掲載している人、もしくは、まだ掲載されてはいないけれども、率先してさまざまなケース(癒しのリクエスト)を受け入れて、霊的癒しを施している人達のためのものです。

レイジェ:ケースを受け入れる(癒しの依頼を受ける)ということについて、説明してもらえますか。
 

デイブ:キリスト教科学の実践士は、どのような問題であっても、祈りをとおしての癒し・解決を望む人ならどなたでも、相談相手になる人々です。たとえば、電話や直接訪問を通して、「問題解決のために、祈りを通して助けて欲しい」と言うそのリクエストを、ケースとして受諾するのです。その後、実践士は、神に心を向けて患者と一緒に祈ります。私にとって、霊的癒しの道は、隣人を愛することに直結した、最高に素晴らしい職業・経験になっています。

 レイジェ:富二子さん、本当に誰でもキリスト教科学の実践士に電話して、祈りを通した援助をしてもらえるのですか?

富二子:その通りです。基本的には、誰が助けを求め,誰がいけないという決まりはありません。誰でも実際に会いにいくか、電話、または電子メールで助けを求めることが出来ます。そして、キリスト教科学の霊的癒しは、身体的な問題の癒しだけでは、ありません。特に重要なのは、そのケースを依頼した方が、神から直接深く愛されている大切な子であること、すなわち自らの真の霊的なアイデンティティーを理解し、その霊的理解を具体的に癒しとして経験することです。そして、生活全般のさまざまな問題、たとえば、経済面、人間関係など、私たちの生活の中で浮上する困難に全てにあてはまるのです。キリスト教科学の焦点は常に、実用的霊性とその理解、スピリチュアリティーの実体験です。

レイジェ:ということは、キリスト教科学の教えは実用的で、良い結果をもたらすものと言っていいのでしょうか。デイブさん、もう少し詳しく説明していただけますか。

デイブ:キリスト教科学は、イエスが自分の人生・生きざまを以って具体的に示した神学です。イエスは神の国はもうここまで来ていると言うメッセージを人類に伝えに来ました。イエスは癒しの業を通して、神の癒す法はここにあり、いつの時代でも、そして誰にでも適応出来るということを、証拠を持って示したのです。

レイジェ:ワークショップについてもう少し聞かせて下さい。富二子さん、先述の2種類のワークショップの内容について、もう少し説明していただけますか。

富二子:デイブと私はこのことについて話し合ったのですが、まず、私達が、霊的癒しのことをより知りたい人々が集まっているところに直接出向き、そしてどんな癒しが実際に行われているのかを知りたい、という結論に達しました。つまり,私たちは良い聞き手として、癒しの実践現場において、各地でどのような問題提起があるのか、また人々がどのように助け合っているのか、そして祈りを通して実際に癒しているのかを、伺いたいのです。一つひとつの会合は、まず短い自己紹介とプレゼンテーションで始め、その後は,参加者との質疑応答を通して、その地域の癒しの現場を、より良く知りたいと願っています。 

レイジェ:ということは、対話形式で行われるのですね。 

富二子:はい、その通りです。 

レイジェ:デイブさん、これらのミーティングは、誰でも参加できるのですか。例えば、ある人が、最近キリスト教科学のことを聞いたばかりでこのミーティングに参加したい場合には、どちらのミーティングに出たらいいのでしょう。そしてその理由も教えてください。 

デイブ:キリスト教科学について最近知ったばかりの人は、霊的癒しについてもっと知りたい人達向けのワークショップに、間違いなく参加すべきでしょうね。また、実践士やキリスト教科学の看護に関わっている人達も、この最初のミーティングに是非参加して頂きたいです。癒しの実践にしばらく関わっている人達にとっても、大変有意義な交流になることでしょう。 

レイジェ:富二子さん、デイブさんがキリスト教科学の看護師について触れていましたけれど、どんな人がキリスト教科学の看護師になれて、どんなことをするのですか。 

富二子:キリスト教科学の看護師は、キリスト教科学の霊的癒しに頼りつつ、かつ、日常の自分の身の回りのことでサポートを必要としている方を、具体的かつ実用的に援助します。看護師は医学的方法や訓練を通してではなく、「キリスト教科学の実践の知識を実証できるほどに有し、病室で必要とされる実際的な知恵を充分に理解し、病人の世話を正しくできる者」とされています(母教会の規範、p. 49)。 キリスト教科学の看護師の 実践 は、自らの祈りと、人を霊的観点から見る理解に基づいています。かつ、日常生活の必要面、たとえば、入浴、食べやすい食事の用意と食事中の援助、包帯の交換、歩行や移動の援助などを行います。看護師はまた、聖書や、キリスト教科学発見者・創始者のメリー・ベーカー・エディ著「科学と健康-付聖書の鍵」から読んだりもします。時には、患者をどこかへ車で連れて行ったり、励ましたりもします。これらの目に見える生活面での世話、役にたつ細やかな世話に勤めてくれるので,実践士はキリスト教科学の祈りを通した癒しに集中できるのです。

レイジェ:デイブさん,キリスト教科学の看護師と実践士の役割の違いを、簡単に説明して頂けますか? 

デイブ:両方に共通して言えることは、どちらも癒す人(ヒーラー)であることです。常に癒すのは、キリストです。しかし、実践士の役割は祈りを通して治療をすることです。祈りの治療と言うのは、何であれ、ある特定の問題を癒すことです。一方で、キリスト教科学の看護師はその間、癒しの過程を支える、素晴らしい聖職的任務を果たします。霊的基礎に立った考え、慈愛、平安、調和に満ちた姿勢と雰囲気を、その状況にもたらしてくれるのです。それは、お風呂にいれるというような実用的なことから、そして、富二子さんが言ったような包帯替えなどが含まれます。そして、すべて神の存在と力を常に意識し、癒しをもたらす存在と力を意識的に保持することによって、癒しに貢献するのです。

レイジェ:患者さんが身体的に不自由を感じている時、キリスト教科学の看護師が優しく愛を以って、日常生活面に必要なニーズを満たすことによって、その人は霊的癒しに本当に集中することができるのですね。

富二子:そのとおりです。また、家族の間でも両親や祖父母の方々が介護を必要としている時、あなた自身がキリスト教科学の月刊誌に載っている看護師でなくても、キリスト教科学においてどのように周りの人々をサポートし、看護師が患者さんにどのように接するのかという知識があれば、とてもためになります。

レイジェ:デイブさん、キリスト教科学の看護師はどんな特性を表現するのですか?

デイブ:おそらく、すべての看護師は愛を表現しているでしょう。医学界でも、キリスト教科学においてでも、それは同じです。しかし、キリスト教科学の看護師は、神性の愛の実在とその癒しの力を見るよう努力します。情け深い心、思いやり、整理整頓、大いなる喜び,時間厳守、患者のニーズを察する鋭い洞察力、直感、もちろん勇気、そして、霊的に明白であること、つまり、神がここにいて全ての必要を実際に満たしているという感覚を常に保っています。 

レイジェ:それらの特性が念頭にあると、年配の家族や親戚の世話をすることが私たちにも出来ると、富二子さんがおっしゃったことが理解できますね。なぜなら、これらの特性は霊的で自然な特質ですから。

デイブ:そのとおりですね。私たち一人一人がこれらの霊的特性をもっているのです。

レイジェ:富二子さん、どうしてこのワークショップが私たちの教会や会員の人達に重要なのですか。 

富二子:すべてのキリスト教科学の生徒が癒しを必要としている患者さんを受け入れ、霊的治療を行うことができると感じてもらいたいのです。そして、最初はパート体制であっても、霊的癒しを行うのに必要な支えはもうすでにあるという自信をもってほしいのです。今、すでに置かれている環境、職場もしくは家庭内でも、始めることができます。自分自身を癒す人(ヒーラー)だと見始めることができます。デイブさん、その点いかがお考えですか。 

デイブ:そう、富二子さんがおっしゃるように、私の知っている多くの人々も、何らかの癒し、ヒーリングを求めています。そして、自分自身がヒーラー、すなわち問題解決に貢献できる人になりたいと願っています。僕自身、人類全般に役立つ人になりたいと思っていました。そして、どの動機自体、実は神ご自身から促されたもので、すべての人にとって、実に自然なことなんですね。僕の場合は、その神の説得に答えようとしたことが自らの成長に繋がり、実際どのように役に立てるのか具体的に示してくれました。そして、もっとも崇高にそして効果的な方法で、癒しに役立つ道を示してくれたのが、キリスト教科学でした。メリー・べーカー・エディは彼女の自伝の中でこう書いています:「科学における癒しの仕事は、行使出来るものの中で、もっとも神聖で健康に有益な力である」(Retrospection and Introspection, p. 54)。 これは、個人的な人間の力ではなくて、 神性の愛 の力なのです。その力を反映出来れば出来るほど,私たちは、 ヒーラーとして、 問題解決に貢献するのです。そのような動機・結果は、実に自然なものなのです。ですから、今秋のアジア各国でのミーティングは、神から来る動機を、お互いに大切に愛を以って育む素晴らしい機会となるでしょう。

レイジェ:デイブさん、神が私たちに願っていることをしたいと思えること、そして、神性の愛をとおして癒せるなんて、本当に素晴らしいですね。ところで、月刊誌のJournal (ジャーナル)とヘラルドに広告を出しているキリスト教科学の実践士と、広告を出していないけれど癒しに従事している人との違いはなんですか。

富二子:実践士と看護師は、月刊誌キリスト教科学ジャーナルとヘラルド/さきがけの後ろに名前を掲載し、広告を出しています。これの素晴らしいところは、誰でも、世界各地のさまざまな地域で名前を出している人に連絡を取ることが出来ると言うことです。例えば私はある時、インドを訪ねていましたが、現地で公共的癒し人として刊行物の広告に名前を出しているある実践士が、旅行者がよく問題解決のために電話をしてきますよ、と言っていました。ですから、世界各地の実践士の名前の一覧表を持参したり、若しくはインターネットで旅先の現地の実践士の名前を調べておくのは、とても役立ちます。 

一方で、他の仕事を持ちながら、希望者への霊的癒しを行っている人もいます。ただ、24時間体制で実践士だけをしている人は、他の職業は行わず、患者さんの解決して欲しいこと(ケース)を受けることのみによって収入を得、癒しの仕事で生計を成り立たせています。

レイジェ:そうですか、つまり実践士と言われる人はヒーラー(癒し手)で、キリスト教科学を実践する人は皆、ある意味、実践士なのですね。そして、クリスチャン・サイエンス・ジャーナルとヘラルド、「さきがけ」に広告を出している人は、世界中の人に癒しを体験してもらうために、すべての時間を実践に捧げているのですね。ここで、ワークショップについて質問に戻りましょう。もし、遠隔地在住の方の場合、わざわざ遠くから来て参加する価値がありますか。 

デイブ:もちろんあると思います。可能な限り、是非いらしてください。なぜなら、参加したいという願いは、神からの強い促しそのものなのです。私たちは、皆さんと共に歩みを進め、その神性なる促しを共に祝福したいのです。つまり、ワークショップは、もう既に皆さまがご自分の中で感じているものを確認し、質門に答え,広く高い見方を共有し,神性の愛そのものを人生において反映し癒しを実践したいと同じように願っている人々と、共に歩みを進め、それらを生活に生かしたいと感じている他の人達と共に分かち合う場になるでしょう。 

富二子:デイブさん、あなたご自身随分長く実践士として霊的癒しを実践かつ経験していらっしゃるから、実践士になったばかりの頃の経験とか、分かち合えるんじゃないかしら?私自身も、初めて家族以外の人に、とても重要な問題について祈ってほしいと言われた時、少し怖いくらいだったのを思い出すわ。でも、その時、ある実践士が私にもできるって肯定理解する手助けをしてくれたの。みんな、同じような経験をしているんじゃないかしら? 

レイジェ:先ほども触れましたが、実践士としてジャーナルやさきがけに名前を出している人と、キリスト教科学の勉強をしている人々の違いについて、もう少し付け足したいことはありますか。 

デイブ:霊的成長のためには、100%の献身が必要です。それは、ただ単に与えて、与えて与え尽くして自分が空っぽになってしまうのではありません。心をひとつにして霊的癒しの実践をし貢献するのは、聖書にあるように「止むことなく祈る」ということだと理解しています。そして、神性の愛が私たちの必要をそのつど満たしてくれることを、私は実際に体験して来ました。 

富二子:そうですね。そして、キリスト教科学を実践すると言うことは、それが実践士であれ、看護師であれ、神に促されてする仕事であるということだと思います。私はこの仕事は聖書の中の詩篇23章の言葉、「私の杯は満ち溢れます」と同じ意味を持っていると思います。

すなわち、愛と理解の供給は常に神から私たちに来ているので、あなたの「杯」はすでに満たされていっぱいになっています。そして、そこから溢れ出ている分を患者さんと分かち合うのです。自分のために取っておかなければならないもの、例えば、家族との時間や、日々自分に必要な供給分など、自分のものまで他の人に捧げなければならないという感覚はありません。もう既にすべての人の杯はあふれているからです。 

デイブ:そして、すべての人に神自らが企画・計画された場所と目的が与えられています。もし、ほかの人たちを助けたい、霊的に癒したいと言う気持ちがあるのなら、それにまず答えてみてください。そして、必ず良い結果が与えられることを、信頼してください。

レイジェ:神は愛ですから、私たちがその愛を反映すること、善であること、他の人を助けること、世の中にもっと愛と癒し、そして光をもたらすことは、ごく自然なことなのですね。ジャーナルやさきがけに名前が掲載されている実践士は、これらのミーティングにでることによって、どのような意義があるのですか。

デイブ:私は、ほかの実践士と話して、様々なアイディアを聞くことは、常に有益であると思っています。同志と集まること自体、真理を確信・肯定する、重要な意志表示です。 それは、絶対に、あなたの周りの人に多く恵みをもたらします。 そして、同じように 100%この仕事に従事している人たちと集まることで、霊的に満たされる機会ともなります。もし、ひとりひとりの個人が、ろうそくを一本しか持っていなくても、皆が集まればもっと大きなあかりになりますね。

 レイジェ:そして、部屋がもっと明るくなりますね。

 富二子:それから、デイブさん、もうひとつの目的として、実践士が各地で霊的癒しを実践するにあたって、直面する誤解などの障害について、私たちが正しく情報を知ることによって、より具体的な助けになれたらと思います。

デイブ:それは大事なことですね。みんなで助け合っていかないといけませんよね。これは、 キリスト教科学・ヘラルド(外国語版)が、その証であるように、 グローバルな活動 だからです。でも、 各地域に 特有な事情や、 化的側面などの課題があることでしょう。 それらを良く把握し、話し合うことが大事だと思います。 そして、 母教会の援助の愛の 手が、 キリスト教科学の実践を行っている人々、その効果を世界に発信したい人達全 てを包み込んでいることを、感じることも大変重要なポイントです。

レイジェ:このワークショップは、専門家たちの集まる会議等で見受けられる、自由な意見交換をする場に似ていますね。しかもその内容は、霊的な見方に支えられた対話ですね。

デイブ:そのとおりです、今おっしゃったことで、以前私が教育者だった時に参加した学会・会議のことを思い出しました。私が一番好きだった形式は、参加者が到着してから、話し合いの内容と流れを決める会議です。この秋のアジアでのワークショップもそんな雰囲気でやっていきたいです。私たちがお伝えしたいこともありますが、みなさんの質問や参加者のニーズに応えて進めて行けたらと思っています。

富二子:私は日本出身なので、キリスト教がアジアにおいては中心的宗教でないことをよく承知しています。例えば、インドネシアでは、イスラム教信者が大多数です。しかし、キリスト教科学の素晴らしいところは、宗教を選ばなくても癒しは始められると言うことです。癒し手(ヒーラー)になれるのです。この教えはすべての人を含み、またどこへいっても適用し、通用する教えです。神性科学は、イエスの言った言葉「あなたがたは真理を知るであろう、そして、真理があなたがたを自由にするだろう」 (ヨハネ8:32) に基礎をおいています。また、イエスはある特定の宗教のみに特有の名前だけで神を呼んでいません。 真理(神の同意語)は、普遍的で、誰にでも当てはまるのです。 ですから、 ご家族やお友達がヒンズー教徒、仏教徒、また他の宗教の信者さんであっても、また今まったく宗教に興味を持っていなくても、癒しに興味があるならば参加されることを是非お勧めします。

 レイジェ:富二子さん、その点を改めて指摘くださってありがとうございます。キリスト教科学は「科学」ですから、多くの人は癒しの根底にある科学に興味をもっているのですね。そんな方達もワークショップに大歓迎なのですね。

富二子:もちろんです。そして、日曜学校の生徒たち、若者の方も大歓迎です。新鮮なアイディアや考え方、質問はいつも歓迎です。日曜学校の生徒さんや若者の皆さんは、質問をすることを恐れず躊躇しません。そして、彼らも既にヒーラーになれるのです。待つ必要はありません。これらの集会で必要とされているのは、子どものような素直な視点、率直さ、素朴さ、そして純粋さです。

デイブ:まさにそうですね。

レイジェ:その他に、ミーティングについて知っておいた方がいいことはありますか。

富二子:この会に参加するに前に、是非、ヒーラーになるとはどんな意味を持つのか考えてみてください。そして、同時に自分の隣人、家族、友人を、いかに癒しをとおして支えることが出来るか、考えてみましょう。力になってあげたいという気持ちが強ければ、ワークショップから多くを得ることが出来ます。そして、癒しの祈りをしてほしいという依頼も自然にやって来るでしょう。

レイジェ:このミーティングに参加した人達は、会合終了後、何を得、持ちかえることができるのでしょうか。

 デイブ:多分、それまであまり知らなかった、役に立つ「道具」(考え方)を持って帰ることでしょう。あるいは、今までヒーラーであるとは何であるか考えていたことに更に磨きをかけ、神の要求に更に応えられるようになるでしょう。皆が、霊的癒しについてより大きな自信を持ち、また、愛されているという実感、特に自分たちが世界を包み込む、大きな神の家族の一員であることを、実感出来ると思います。

富二子:参加する皆さんが、グローバルな癒しの活動の重要な一部分を成しているヒーラーなのだと感じられたら、嬉しいですね。キリスト教科学は、真理と生命と愛の教会です。もし、皆さまがこの確固たる、貴重な、世界的そして人類全般への活動に属していると心から感じ、人類が限界と悪から解放され得るのだと確信しつづけるなら、間違いなく神ご自身が私たち一人一人を導いてくださるでしょう。 

レイジェ:その通りですね。こうやってお二人とお話ししただけで、霊的インスピレーションを非常に感じました。このワークショップにこの秋、アジアで参加なさる皆さんが、いかに多くの実りを受けるか、今から感じ始めたような気がします。富二子さん,デイブさん、今日はキリスト教科学ヘラルドへお越しいただき、ありがとうございました。お二人とお話しできましたことを、心から感謝しています。

『さきがけ』の使命

1903年に、メリー・ベーカー・エディは、『キリスト教科学さきがけ』を創刊しました。その目的は、「真理の普遍的活動と有用性を宣言する」ことでした。ある辞書によると、『さきがけ』定義は「先発の使者」(先触れ、先駆け)ー 後に起こる事が近づいていることを告げるために先立って送られる者、使者」であり、『さきがけ』という名称に重要な意味を与えています。さらにまた、この定義は、私たちの義務を指し示しています。それは私たち一人一人に課せられた義務であって、私たちには、私たちの『さきがけ』がその責務を十分に果たしているか見届ける義務があるのです。この責務はキリストと不可分であって、まず初めに、イエスが、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」(マルコ 16:15)と述べて、表明したものでした。

Mary Sands Lee (メリー・サンズ・リー)、Christian Science Sentinel, 1956年 7月 7日

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