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よし、打て!

キリスト教科学さきがけ』2016年07月18日号より

Christian Science Sentinel,  2016年2月1日号より転載


それは、僕の入っている地元野球チーム、3村リトルリーグの出た試合で、3イニングのときだった。僕は、バッターボックスに入って、バットを振ろうと、かまえていた。

バッターボックスに入る前、僕はコーチに、バットを短く握れ、と言われていた。ピッチャーが、ホームプレート目がけてボールを投げてくると、そのボールが僕の左手の人差し指に当たった。ものすごい衝撃だった。指が折れたようで、とても痛かった。

僕は、キリスト教科学の日曜学校に通っている。そこで僕は、どんなことでも祈って癒すことができると習っていた。だから、ボールが指に当たったとき、僕はすぐに祈り始めた。僕は、キリスト教科学賛美歌148番、特に次の歌詞が大好きだ。

嵐が、私のまわりを吹きまくろうとも、
私の心が、どんなに沈もうとも;
が、私のまわりにおられるので、
私は何を恐れよう?
              (Anna L. Waring)

 

さまが「私のまわりにおられる」ことを知っていたので、僕は安心していることができた。それでも、夜になっても痛みがひどかったので、お母さんが近くの病院に連れて行ってくれた。病院では、指のレントゲンをとってくれた。お医者さんたちによると、僕の指は、折れているだけでなく、折れ方がひどいので、手術をして、ワイヤーで骨をつなげて固定する必要があるということだった。お母さんは、お医者さんと看護師さんに、おっしゃる通り、添え木を指にあててくださいと言い、2日後に近くの整形外科医に行く予約をした。

お医者さんにはこのように言われたけれど、お母さんも僕も、さまが僕を愛してくださっているので、僕はきっと治ると信じていた。それから何日かのあいだ、僕たちは、さまが僕をいつも愛してくださっていると感じながら、祈っていた。それは、とても力強い祈りだった。僕たちはまた、キリスト教科学の実践士にも電話をして、僕のために祈ってくれるようにお願いした。

そして、整形外科医のところに行くと、そこでもう一度、レントゲン写真を何枚もとった。すると、お医者さんは、僕の指がすでに治り始めていると言い、そして、手術をする必要はなくなった。お医者さんは、新しく添え木をしてくれて、はじめは、5、6週間は付けていなければならないと言われていたけれど、3週間だけでよいと言った。お母さんと僕は、さまの愛を感じながらずっと祈りつづけていた、それで僕たちはしっかりしていることができた。そして、3週間たつと、添え木がはずされた。そして、それから2、3日後には、僕は指を自由に使うことができるようになった。

僕が、キリスト教科学のサマーキャンプに行くときまでには、指はすっかり治っていて、キャンブでは、 壁登り、水泳、ジップライン(ワイヤーにぶら下がって移動する遊具)などのスポーツを全部、なんの不自由もなく、痛みも感じないですることができた。本当に、指のけがなどしなかったようだった。 

僕はキリスト教科学を勉強するのが大好きだ。僕は自分の部屋に、実践士のオフィスを作っていて、だれでも助けて欲しいという人がいると、祈ってあげる。この経験をしたことで、さまのことをもっとよく知ることができたことに感謝している。僕は、さまを知っていて、さまがすべての人を愛していることを知っているので、他の人のために祈る自信を感じることができる。さまに癒すことのできないものはない、ということを僕は知っている。

『さきがけ』の使命

1903年に、メリー・ベーカー・エディは、『キリスト教科学さきがけ』を創刊しました。その目的は、「真理の普遍的活動と有用性を宣言する」ことでした。ある辞書によると、『さきがけ』定義は「先発の使者」(先触れ、先駆け)ー 後に起こる事が近づいていることを告げるために先立って送られる者、使者」であり、『さきがけ』という名称に重要な意味を与えています。さらにまた、この定義は、私たちの義務を指し示しています。それは私たち一人一人に課せられた義務であって、私たちには、私たちの『さきがけ』がその責務を十分に果たしているか見届ける義務があるのです。この責務はキリストと不可分であって、まず初めに、イエスが、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」(マルコ 16:15)と述べて、表明したものでした。

Mary Sands Lee (メリー・サンズ・リー)、Christian Science Sentinel, 1956年 7月 7日

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